Twitterで大量解雇があっても機能しているのは当たり前だ。
そもそも、ここまでメジャーになった今、広報とか要らんのだ。サーバーエンジニアだけいればいいんだよ。
しかし、ブルシットジョブが何千万も収入を得ている典型企業だったようだ。
アメリカは日本以上にコネとツテで就職が決まる。
技術系や法曹、経営なんかは日本とは比べ物にならんほど学歴重視だがそれ以外はコネツテの世界だ。
だからコネツテ、なくても、人事へのセックスアピでもあれば就職できる。
その結果がこれだよ。
テスラのギガプレスがすごいすごいいってるやつは馬鹿
テスラのギガプレスがすごいすごいいってるやつは馬鹿なんだろう。
そんなもん、トヨタもフォルクスワーゲンも思いつかなかったわけじゃない。
それをやってしまうと車が売れなくなることが明白だったからだ。
そう。車体が一体成型だと修理ができない。事故ってフレームが歪んだら終わりだ。買い替えになる。
そんな車に乗るやつはいなかったし、保険料も馬鹿高だ。
テスラがギガプレスを導入できたのは、EVであることと、サブスクの時代になったことだ。サブスクなんて言ってるが、ようは月賦、リースのことだ。
であるなら、事故った場合、交換ということになる。
トヨタがEVをサブスク形式で展開しているのは、本質がギガプレスにではなく「サブスク」にあるからだ。
かつて自動車は故障した場合、故障部分のパーツを交換するものだった。
21世紀末にはモジュール化が進み、マニュアルにのっとって、故障個所をまるごと交換するようになった。いわゆる職人的な修理工は用済みとなった。
テスラの結果は、そもそも「買い切り」の終わりだ。故障したら修理しない。
半導体の威力
それまでパンチカード、リレー回路で制御されていた多くのものが20世紀の後半、半導体によって置き換わった。
モーターさえも単純なブラシモーターではなくブラシレスで、制御回路が必要だがメンテフリーで正確無比だ。
半導体はほぼすべてのものを置き換えてきた。
しかし、どうしても置き換えできないもののひとつに光学装置があった。
光学はアルハイサムやニュートンが光学者だったように、科学の基礎とされる学問である。
光学は複雑な演算を必要とする一方、複雑な機械的機構が必要ないことから、科学の初歩であったと思われる。
逆に言えば、蒸気機関の製造には光学のような複雑怪奇な計算は必要ない代わり、大きな機械の仕組みが必要だ。量産するにしても、工場が必要だが、レンズは内職でできなくもない(実際ガリレオは自分で一から研磨して望遠鏡を作った)。
さて、私はカメラが趣味だが、もう完全にソフトウェアのパワーが光学補正を凌駕して久しい(レコードが本質的にはCDよりも音域が広く、収録した音源の再現性が完璧である一方、それ以外のすべてにおいて劣るのと同じ)が、もうデジイチは終わったと印象が強い。
カメオタたちはEOS RやSONY αのAIによるAFなどに狂喜乱舞しているが、そのAIはコンピューショナルフォトにも当然だが応用できる。
OMDSやリコーは明らかにコンピューショナルフォト路線へいこうとしているが、無理筋だ。iPhoneに絶対に勝てないからだ。
というのも、半導体はほぼ投資金額で決まるからだ。
アップルの研究開発費は2兆円といわれている。撮像素子はSONYだが、SONYも膨大な開発費を注いでいる。
SONYの研究開発費は5000億円。キヤノンは3000億円で、キヤノンはまだいいとして、富士フイルムは1500億円だが、このうちイメージング部門は売り上げ1割程度なので100億円くらいしかあるまい。
リコーも1000億円だが、同じく、100億もないはず。
ニコンに至っては600億円で、ゲーム会社の任天堂以下だ。まあ、あの日本電産が500億というから単純ではないかもしれないが・・・。
アップルの開発費のほとんどはiOSの開発費だろう。ハードウェアは外注搾取でつくってんだから。
iOSの年間開発費は5000億円はあるだろう。
キヤノンもうち、ソフトウェア部分は数百億だろうし、話にならない。
また、スマホカメラ自体はXiomiやSamsungなんかも膨大な研究費を注いでいるのは間違いなく、キヤノン、ニコン、ソニーのイメージング部門、OMDS、リコーのイメージング部門、パナのイメージング部門、DJI程度の研究費では足元にも及ぶまい。
世の中、かけた金がすべてではないが、トヨタが落ちぶれないのは莫大な研究費を注いでいるからだ。
日本企業で兆単位の研究費を使っているのはトヨタしかないのだ。というか一時期は世界一の研究費だった(日本の半導体がダメになったのは売り上げが落ちたときに研究費をカットしたからで、Samsung会長はこれを日本に勝てないと思っていたが、あろうことか「自滅」した、と評した。)。
いくらRやZやαが優れていようと、もはやソフトウェア処理が隙間を埋めるだろう。もう秒読みだ。
こうなってくると、カメラ趣味者はクラシックへ向かうのは間違いない。
クラシックカメラの市場価値はあがり、フイルムの生産数はあがる。
フイルムカメラはスマホとは次元の違うもので、いわば、ストリーミングの時代にレコードが復権したり、映画館での動員が増加したのと同じだ。
ただ、問題はデジタル処理がいかにすぐれていても生データがカスだとダメだということだ。そう、最近望遠レンズがスマホに搭載され始めたが、望遠である。
案外これを置き換えるのは困難に思える。
ネオ一眼が復権する可能性が示唆される。むしろ、デジイチ亡き後も生き残っているのはネオ一眼かもしれない。
2030年までにはソフトウェア処理がハードウェア(光学)に打ち勝ち、カメラ関係は暴落するだろう。
中古市場もデジカメが激安となる一方、クラカメは青天井で価格がつりあがり、今20万くらいで売っているライカRシリーズの中古も100万を超える。美品なら1000万、2000万もありうる。未開封なら億だろう。
レコードが異様な値上がりをしているのと同じだ。
レコードはフイルムカメラよりもずっと早く命脈を断たれた。20年くらいまえは、レコードは一部を除き、ごみのように扱われた。
そう考えると、フイルムカメラも置き換わりが完了した10年くらい前が底値だったので、2030年くらいに暴騰してもおかしくない。
もはやオタクは創作もしない、語ることもない
今や、アニメを見て語るのはおじさんだ。
今のオタクはVらしい。
Vは見て語るのではなく、もはや、Vが「語ってくれる」。行きつくところに来たな、と思う。
アニメを見て、Twitterで同志探しも不要。
放送にコメントがいっぱいつく。
思えば、このシステム、かつてのニコ動のアニメ視聴に酷似している。しかし、あのときはまだ視聴者との語りだったはずだが、もはやそうではない。
視聴者はVと語るのだ。
宮崎勉以前のオタクたちは、いわゆる創作世代のオタクたちだ。
創作はしなくても一定の行動力がないとオタ活は難しかった。資金も必要だったので、比較的高学歴が多かった。
SFオタクが多かったのもこの時代だろう。
第二世代は私の世代だ。
この世代は創作的な部分はさがったが、まだお互いに作品自体について語ることに熱心だった。まだネットは黎明期だったが、かつてほどの行動力はいらなくなった。
SF(創作的余地、考察的余地のあるもの)の地位は低下した命脈はまだある。
が、その代わり、キャラの比重があがり、キャラについて語らうことが増加(エヴァは両方を含み、過渡期作品といえよう。ナデシコは第二世代の象徴的な気もする)した。
今は第三世代といえるだろう。
もはやオタク界隈で語ることもしない。Vだけじゃない。実況動画もそうだろう。
プレイして、結果みんなで語らう(第二世代)のでも、自分たちでゲームを担ってプレイ(TRPGなど)するわけ(第一世代)でもなく、実況者やVが語ったもの=自分の経験として受容する。
ひろゆきが復活したのもそうだし、キッズや老人にひろゆきが受けている理由(老人の場合は第一世代に非該当の老人たち。実際、おやじの同世代がネット陰謀論にはまっていて目も当てられない)だ。
もはやオタクは語らうこともしない。
これは創作にも表れている。
最近の作品群は登場キャラについてタイトルで説明され、このキャラは何を考えているのだろうか? という内面の考察は考慮されず、まるで書割のように「読者の想像の範囲内の行動」だけをとる。
これから逸脱すると炎上する。
かつてキャラクターの記号化を難詰したのは第一世代だと思うが、現在はキャラクターのゲーム化というような、「このようなキャラメイクなので、このようにしか行動しません」というもっとひどい状況にある。
かつてはやったツンデレだが、その象徴的作品であるゼロ魔を見てみると、テンプレ的な返しをルイズが行うのはコメディ部分で、シリアス部分ではそうではない。
現在はコメディシリアス関係なく、こういうキャラは必ずこう、みたいになっている。
こうなってくると、〇〇さん系の開祖の高木さんがたたかれそうだが、高木さんはゲーム的動きをしているようには見えない。ただし、後続作品群はゲーム的だ。
だから高木さんと西方の恋の行方は発展するのだろうな、と思うから続きが気になる。が、タイトルで関係性が決まり、テンプレ通り以外の行動をしない作品の続きは気にならない。
きらら系も一世を風靡したが、どっちかというと、これはきらら系ではないだろうか。ただあれは四コマで、息抜きに読むものだが、きらら系をストーリー漫画にしてしまったのが、現代のそれではないのか。
第一世代、第二世代、第三世代とわけはしたが、かなりざっくりと年齢幅は広い。
世間では10年区切りらしいが、そっちのほうが的を射ていそうではある。まあ、これは私見だからこれでいいとしよう。
実際にはアニメでわけると、鉄人28号世代(1963)、ヤマト世代(1974)、ガンダム世代(1979)、DB世代(1986)、エヴァ世代(1995)、ハルヒ世代(2006)とかいろいろあるかもしれない(鉄人は「以前世代」かもだが)。
が、2010年代は何も思いつかない。
まあ、個人的に90年代後半から00年代に詳しいだけとも言える。
化物語(2009)、狼と香辛料(2008)、ゼロの使い魔(2006)、とらドラ(2006)、けいおん(2007)、もやしもん(2007)、プラネテス(2003)、ガンスリ(2003)、ひぐらし(2006)、マクロスF(2008)、ガンダムSEED(2002)は流行ったと思う。
90年代は先にあげたナデシコ(1996)、エヴァ(1995)以外だと、カードキャプターさくら(1998)、セーラームーン(1993)、ガンダムW(1995)、スレイヤーズ(1995)あたりは受けていた気もするが、10代だったし、あまり覚えていない。
ひぐらしはリメイクされたし、狼と香辛料もリメイク予定だ。明らかに小金を得た30代40代を狙っている。
世の中にはリメイク周期がある。
魔法使いサリーは初代が1966年で、リメイクが1989年。23年経っているので、当時小学校低学年が30代になっている。セーラームーンも初回が1992年で、リメイクが2014年で22年経っていて、小学生が30代になっている。
ひぐらしや狼と香辛料のリメイクが20年未満なのはボリュームゾーンが小学生ではなく、20代だったからだろう。
話がそれたのだが、2010年代の覇権アニメって何?
って思って調べたけど、ラブライブ(2014)、ガルパン(2012)、けもフレ(2017)なんだね。よく知らないんだ。ギリギリ、俺妹(2010)、まどかマギカ(2011)までだね・・・。
で、少し話が戻ると、SF者の衰退とオタクの創作性の欠如は連動していると思うのだ。
ナデシコはエヴァなんかよりもずっとバックグラインドは硬派だったが、最近はそういうSFアニメってないのではないか。2000年代の攻殻機動隊はもともと漫画だし、原作は20世紀のものだ。
インドは中国にはなれない。
インドは中国にはなれない。
トルコは再び世界政治の表舞台に還ってきそうだが、インドは駄目っぽいと思う。
理由は、
1.中国人のように勤勉ではない。
2.そもそも中国やトルコのように比較的人間が統一されていない(そもそも現在のインド共和国は初めてインド亜大陸を統一した国家だ)。また、インド亜大陸自体がヨーロッパ全土以上に民族・宗教・文化の多様性がある。
3.カースト制度が根強い。
4.結局マンパワー以外の強みがない。
5.イランのようなプライドもない。
1について、日本人は中国人を怠慢だと思っているが、偽物を売るにしても、中国人はなるだけ本物に似せる努力を惜しまない。これは勤勉以外の何物でもないが、ベクトルがあらぬ方向へいっているだけである。
なので、まともな方向へ向けると中国人はすごい。そもそも、世界三大発明の国だぞ?
2について、トルコはそもそも民族統一のなかったオスマン帝国領のうち、トルコ人居住区が残ったのがいまのトルコだ。
4について、中国はいまやEVやドローン、5G、AIなど技術立国の側面がある。これはトルコも同様だ。しかし、インドにはそういったものがない。インド人自身は優秀だが、国内ではなく、アメリカやヨーロッパで活躍する傾向が強い。
IT企業のCEOがインド系というのは多い反面、本国にはろくなIT企業がない。
5について、イラン人やトルコ人、中国人は強いプライドがある。そりゃ歴史的に見ればイランはここ最近体たらくだが、間違いなく有史以来地域の派遣国家を運営してきた民族だし、トルコ人と中国人は世界帝国の担い手だった自負がある。
一方、インドはイラン系やモンゴル系、はてはイギリス人に支配され、対外的に強かった時代がほとんどない。文化的には強くても、政治的、軍事的にインド亜大陸が強かったことがないのだ。
いつも国の少子化対策は楽観視ばかりだった
そりゃワクチンに100%はないよ
国は絶対に認めないのだろう。血液製剤での前科がある。国を挙げて、商社をもうからせるために10億回に近いワクチンを買ったのだから、ワクチンの危険性を認めるわけがない。
本当に血液製剤と同じだ。
そもそも、ワクチンには絶対に危険性がある。インフルエンザワクチンだって死ぬ危険性はある。
反ワクの言い分はばかばかしいが、ワクチンを安全ですと断言するのも同じくらい馬鹿だ。
日本人は灰色が好きなのかと思うが、安全性については絶対の100%ばかりを追い求めるが、100%の安全などない。原子炉だってそうだ。絶対安全という神話を言い続けた。
んなわけない。
あんな巨大な構造物、事故を起こす確率が0なんてそっちが絶対にない。
が、絶対の100%安全を求める馬鹿がいっぱいいるので、政府はうそをつくのだ。安全でーすと。100%安全を求める馬鹿たちのせいで、逆に危険性が隠蔽されるし、安全性の追求が逆になされない。
安全だから対策しなくていいでしょ?となる。
100%の安全を求める馬鹿はガンだ。百害あって一利なし。
急ごしらえのワクチンだったんだから、まあ、死ぬわな。
ワクチンを安全な保険か何かだと勘違いしている馬鹿が多すぎる。反ワクは嫌いだが、ワクチンの100%の安全性などないことを認識しているだけ、マシなのかもしれない。