最近ネオリベやネトウヨだと思うんだが、労働者保護のせいで給与が上がらないと盛んに宣伝するやつがいるが、そんなことはない。
プロパガンダだと思う。
種苗法のときも的はずれな流言飛語がネットで飛び交った。
中韓が日本の品種改良された優秀な苗を盗めなくなる!! とか。
イミフだったよ。どう考えても外国の出来事を規制できるはずがなく(盗んだ苗を外国で植えることをどうやって規制できるの・・・?)、単純にアメリカの種苗メーカーの苗や種を購入しないといけなくなるだけの法律っていう。
日本で給与が上がらないのは中途採用が非常に少ないからだ。
嘘に騙されるな。
雇用の流動性のなさと労働者保護は無関係だ。
いくら簡単に首を斬れるようにしたって、企業が新卒採用をやめなきゃ意味がないし、中途採用を積極的にすれば法改正しなくても転職しやすい社会になる。
また、勤続年数の長い大企業と勤続年数が少ない中小企業で後者の方がベアが多いなんてことはない。
それに日本社会で簡単に首切りできるようにしたら、「絶対に給与は下がる」。平均は間違いなく下がり、国民全体で見れば損をする。
そもそも、アメリカではそうなるからこそ、最低賃金が高く設定されているのだ。あれはそういう労働者保護なのだ。
アメリカが労働者保護をしていない社会なわけがない。そんな経営者にとっての楽園があるわけがない。
日本の最低賃金は安く設定されているので、このままだと、最低賃金で募集され、気に入らないなら首という経営側にしかメリットがない。労働者は立場が弱いのだ。
さらにいえば、世界最大の労働組織はアメリカにあって、アメリカほど労働組織が発達し、力を持っている国はないが、日本では労組潰しが大成功し(世界一成功した)たので、この状態で労働者保護を緩めたら、悲惨の一途だ(世界で唯一労組を破壊した国だと思う)。
労働者側に味方する大きな組織がないからだ。そもそも産別労組がほぼないので、労働者は自らをダンピングして売り込むしかなくなり、最低賃金はむしろさがるようになる。
終身雇用のせいで労組は不要ともいえたが、終身雇用をなくすならば、産別労組が組織されないとバランスが取れないし、アメリカはそうなっている。
しかし、日本人は経営者の意向を反映した政府とメディアに洗脳されており、労組をなぜか憎んでいるので、労組が復活する見込みはなさそうだし、協力してゴールを目指すことができない人種(それよりも他人の足を引っ張り、出し抜くのを好む。たとえば、終戦後もアメリカと戦おうという連中はキチガイ扱いで、我先にアメリカに取り入ろうとした)なので、こぞってダンピングした労働対価で自分を売り込み、労組を叩く未来しか見えない。
今もそうだが、生保を叩いているやつほどワープアなのと同じで、労働者同士が叩きあい、ブルジョワが漁夫の利という未来しか見えない。
そうならないように(戦前はそういう世界観だった)、アメリカは反共の砦として日本を再建しつつ、社会主義的な政府に仕上げた。
しかし、それは徐々に崩れていき、戦前の状態に近づいていく。
そもそも、健全な資本主義の発展には労組が必要というのは世界の共通認識で、ソ連を敵視していたアメリカですら、そういった社会主義的手法は採用した(修正社会主義みたく修正資本主義と私は呼んでいる)し、アメリカ市民はネオリベを支持していない(日本では社会主義的手法よりもネオリベを支持する貧乏人が多くて驚く)。
終身雇用を経営者はやめたくてやめたくて、たまらないのだろうというのはわかる。
安く労働者を使いたくてたまらないのだろうが、簡単に首を切られるということは、労働者側も企業に忠誠を誓う必要がないことを意味する。
現代日本では忠誠心のおかげで、安く質の良いサービスが提供されていることをわかっていない。
安い賃金でいつ首になるかもわからんなら、サビ残はもちろんしないし休出もしないし、仕事も適当にするだろうし、「イヤならやめる」ので、引継ぎもなかったりして、サービスの質はさがりにさがるだろう。
これまで労働者に安くやらせていた仕事はできなくなる。
結果的に経営者は損をすると思うのだがね。
経営者がやるべきことは中途採用枠の拡大でしょうに。
生産性ってのがまあ的外れよな
生産性ってのがまあ的外れよな……。
単なる暇つぶしに生産性も何もないわい。
こういうなんでもかんでも、生産性や学びがないといけないみたいな人って生きづらくないんかね……。
吉本新喜劇みたいなのも、なーんにもなんないし、私は好きではないけど、あれを見て癒されたり、笑って日常を忘れたりする人がいるんだろうし、それを何にもならんとは言わない。
まあ、一日中V見てるのは問題だけど、程よく見ている分にはいいんじゃないのかね(時間をたくさん浪費するのなら、Vに限らない。ゲームもTVもスポーツもなんだって同じ)。
そんなこといいだしたら、学校の部活も何の生産性もないからね(将来そのスポーツの選手にならんのなら、時間の浪費ともいえる)。
学びとかもないよ。
剣道を昔してたけど、心技体なんて大ウソよ。
先輩の暴力と強いやつが威張り散らす魔界。あれから学べるのは「強いやつが社会を支配している」という当たり前のことだけだわ。
集団生活とか自主性とか上下関係とかいうのを学べるとかこういう手合いはいいそうだけど、そんなもんは部活でなくてもいいしね。部活によってはほとんど遊びみたいなのもあるしね。
それに部活って「同級生や先輩後輩と青春する」のがいいんであって、大会とかどうでもいい層もいるし、将来そのスポーツで大成したいわけでもない。
さらにいうと、中高生が生産性とか気にするかね。
自分が中高生のときそんなこと考えてたかね。考えてた方が異常だと思うよ。だいたい高3になって急に考え出す。
面白いから、で終わってたと思うんだよ。
私は小説をよく読んでたけど、読書って特に生産性ないからね。学びとやらも小説にはないよ。ノンフィクションにはあるけど。これまで読書メーターを見る限り、4000冊以上は読んでいる私が言うんだから間違いない。
私は依然から読書崇拝も疑問でね、あんな生産性ないことないよ。
実際できるやつって読書しないのよ。
あくまでも、実用上必要な資料を読むって感じ。私は年間200冊以上は読むけど、時間の無駄だと思うよ。ただ好きだから読んでいる。
無駄とか余暇とかそういうのを楽しめない考え方はつらくないかね。
帝国としてのアメリカは永遠な気がする
アメリカに中国は勝てるのか。微妙なところだ。
個人的には勝てない気がする。
中国は歴史的には世界のトップだったことはある。確かにそうだ。
しかし、アメリカ合衆国は人類史上最強の帝国国家だ。
ローマ帝国もオスマン帝国も、あの大英帝国ですら合衆国の前ではカスみたいなもんだ。
アメリカは軍事・経済・情報・娯楽・思想・科学あらゆる分野で世界を支配している。これは誰もなしえなかった。
そもそも、世界はドル本位制なのだ。
これが一番のキモだ。
ある一国の通貨が世界経済を支配するなんてことは人類史上なかったんだ。
実際、戦前の段階では大英帝国はまだ健在だったし、ソ連の経済力と工業力はアメリカと大きく差があったわけではなかった。
アインシュタインはドイツ語で相対性理論を書いたくらいで、科学分野でも英語が支配的だったわけではない。日本でも医学はドイツ語だった。
アメリカは世界一の大国ではあったものの、圧倒的ではなかった。まだ人類史上よくある帝国のひとつだった。
しかし、戦後ソ連は衰退していき、ソ連の崩壊や大英帝国の瓦解、ドル本位制への移行などをもって、アメリカの覇権は確実なものとなった。
領土的には合衆国はローマ帝国や大英帝国に及ばないが、事実上日本と韓国は属国だし、ドイツやイタリアにはアメリカ軍基地があるので支配下においているようなものだ。アメリカに逆らうことができない国家はたくさんある。
最後の帝国だろう、とは思う。
中国がアメリカに勝てるか微妙、というのは、現代中国は漢民族の民族国家であって、かつての帝国中国ではないことだ。
帝国というのは明確な線引きが曖昧な国家だ。
アメリカ人というのは何者か? 黒人でも白人でもアメリカ人だ。
また、合衆国自体が州の独自性が強く、国家としての統一性にかけている。また、多くの属州(日韓など)を持ち、民族の支配域=国家とはなっていない。
ローマ帝国やオスマン帝国において、そこでは民族ではなく、帝国臣民(ローマ市民)かどうかが国家の構成員の意味だった。アメリカもそうだ。アメリカ人とはアメリカ市民権を有する人のことだ。
世界がナショナリズムへ傾き、民族国家だらけになった。もはや帝国と呼べる国家は合衆国しかない。
今言ったように帝国はナショナリズム(民族主義)とは距離がある。逆にいえば、帝国は常に膨張し続ける。帝国は世界を支配するまで発展することを使命にしている。中国は民族国家になりさがったので、世界支配の意味もモチベーションもない。
清がなぜベトナムとフランスの領有で争ったのか。清にはほとんどメリットがなかったはずだ。
メリットはなかったのだが、中華皇帝は世界を支配せねばならない使命があったのだ。
始皇帝が皇帝を名乗ったとき、オクタヴィアヌスが事実上皇帝に即位したとき、彼らの目的は何だったか。民族の栄光ではない。それは近代の産物だ。彼らの目的は帝国の拡大=世界の支配だった。
アメリカが異様なほどに世界情勢に干渉し、軍隊を送り、殺戮を繰り返すのも、帝国だからに他ならない。
日本なら、邦人保護でもないのに派兵する意味を感じないだろう。日本はネーションステートだからだ。
だが、アメリカは違う。ネーションステートじゃない。インペリアルステートなのだ。
帝国に歯向かうやつは八つ裂きにし(フセイン、カダフィー)、無法者でも臣従を誓うものは保護し(サウード家、イスラエル)、自分の支配域と目されるものは、領土外の問題でも首を突っ込む(北朝鮮と韓国。韓国は属国なので)。
かつての中華帝国もムーブそのものである。
また、アメリカの優秀な人間はプロパーではなく、インド人や中国人といった移民だったりするが、これもかつての帝国にありがちである。
ムガル帝国でタージハマルを設計、建造したうちの主要技術者はインド人ではなく、トルコ人、イラン人、ユダヤ人だったし、オスマン帝国がコンスタンティノープル攻略につかった大砲の開発者はハンガリー人、元朝の皇帝の顧問はイラン人だし、鄭和はイスラム教徒で先祖はがっつりアラブ名なので西の出身なの間違いない。
ローマ帝国もエトルリア人、ギリシャ人のエリート階級が統治機構を補佐していたし、アケメネス朝の軍事顧問はあろうことか敵対しているアテネなどと同じギリシャ出身という始末だ。
しかし、ネーションステートになると同じ民族しか登用しなくなる。
ネーションステート、民族自決以降、帝国はほぼ全て消えた。アメリカを除いて。
そして、アメリカが崩壊しなかった最大の理由はWASPが圧倒的多数派でなかったこと(むしろドイツ移民やアイルランド移民が多かった)だ。
ブラジルなどはポルトガル移民が圧倒的多数派だったし、逆にペルーではインカの末裔たちが多数派だ。また、混血が進んだせいでブラジル人が誕生してしまった。
これは混血の結果、漢民族が誕生し、今の中国が漢民族の民族国家になりさがったのと似ている。
また、中南米の場合、そもそも先住民が利用可能な土地にはだいたい住んでいたが、北米は人口密度が異様に低く、また近代科学なしに可住できる土地が少なかったため、基盤となるネーションがそもそも存在しないのだ(プエブロインディアンを除き、北米インディアンは土地に執着しなかったこともある)。
中南米の国旗を見ればわかるが、白人が支配しておきながら、国旗には太陽が描かれており、基盤としてどうしてもインカやマヤ、アステカといった先住民の痕跡を認めざるを得ないのだ。
そこにはどうしてもネーションのかおりがする。
しかし、合衆国は無臭に近い。民族のかおりはしない。
だから崩壊することは原理的にない。
本来ならば、グレート・スー・ネーションみたいなのがあり得たが、北米インディアンはあまりにも数が少なくノイズでしかないから無理だし、イスラエルVSパレスチナのようにはならない。
あれはパレスチナ人は近隣のアラブ人やムスリムから支援を受けられるが、ネーティヴアメリカンにそれはないし、パレスチナ人は数が多い。1000VS1のような絶望的な差ではない。
グレコ・ローマンとひとくくりにすることが多いが、これはユーロセントリズムだと思う
グレコ・ローマンとひとくくりにすることが多いが、これはユーロセントリズムだと思う。
というのも、ローマ人がギリシャ人から多くを学んだのは事実だが、ギリシャ人側は人種的言語的にはローマに近くても、文化的経済的には中東・北アフリカ寄りだったからである。
ローマがカルタゴを滅ぼしたとき、ギリシャ人は野蛮なローマ人とけなし、フェニキア人に同情的だったし、プトレマイオス朝は王家こそギリシャ系だったが実際にはエジプト王朝そのもの(なのでプトレマイオス朝は古代エジプト最後の王朝としてカウントされている)だったし、ペルシア人はギリシャ人の王(アレクサンドロス)を認めた。
しかし、エジプト人はローマ人支配をギリシャ人支配のようには受け入れなかった(ギリシャ語文献の多さに対し、ラテン語による著作・碑文はほとんどない)し、そもそも、ローマの中東・北アフリカ・バルカンへの侵略戦争は、土着の民族・ギリシャ人連合との戦いであった(セレウコス朝、プトレマイオス朝)。
ローマ人のその品性の低さはまさにヨーロッパ人の元祖という気がするが、グレコ・ローマンというくくりはおかしいと思う。
牛角の件は、モテるもてない、男がどうのという以前に、LGBTとか多様性の時代に男女で価格を決めること自体が間違っていると思う
牛角の件は、モテるもてない、男がどうのという以前に、LGBTとか多様性の時代に男女で価格を決めること自体が間違っていると思う。
男性でもたくさん肉が食えない人はわりといるし、逆に肉食女子もいるが、平均的にそうだ、という理屈で男性は高くする、ということがそもそも多様性違反だと思う。
食う量はだいたい体重の方が性別より参考になる。がり男よりデブ女の方が食うのはよくあることだ。
なので、体重別課金にすればいいのだ。
そっちの方が多様性がある。
さらに、女性だけ安くするというのは男女平等とか以前に、性別で同一のサービスなのに価格差をつくることに合理性がない、と私は思うのだ。先にのべたように、食う量は個人差が大きい。
なので、同一サービスなのになんで男だけ高いんだよ! というのは怒って当然だ。まあ、食べ放題なら平均的に男性が食うからいいとしても、映画なんかはもう明らかに男女でサービスに差はでない。
しかしレディースデーがあるというのは、性別を理由にした合理性がない。何度も言うが、同一のサービスで男女で価格が異なるなんてのはそもそも、フェミだのなんだの以前におかしいだろ。なんで、同じサービスなのに高い金だすんだい?
女性車両もそうだ。
運賃は同じなのに、女性車両はすいている。怒りたくもなる。
サービスの質が違うならいい。
そもそも、労働対価も同一労働なら性別で差をつけてはいかんのだし、受けるサービスも同様だろう。女性の方が運ぶ量が少ないとかで賃金を安くすることはできん。
ひろゆき氏は5日、Xで「焼き肉代2000円ぐらいの性別による差別は『受忍の限度』で受け入れるべき説」とキャンペーン肯定派について言及し、「女性の月給が男性より2000円安くても『受忍の限度』だから受け入れるべきとなります」と指摘した。
ひろゆきが完全に嫌いになれないのは、彼は本質的にはリベラル側なんだよね・・・。
言語学習で一番難しいのはその言語の世界観だと思う
言語学習で一番難しいのはその言語の世界観だと思う。
中国語を見ていてさらに思った。英語もだいぶん世界観が違うが中国語も異なる。
英語や日本語では「におい」は数えられないが、中国語では数えられ、「来了一股香味」で、「かぐわしいにおいがやってきた」、という意味であるようだ。
明確に数えている。
中国語の世界観ではにおいであっても、無限に広がっているわけではなく、ひとつの塊として把握できる、と考えるのだろう。
他にも、「私はうれしかった」、を、「ひとつのうれしさを感じた」というような表現をするらしく、この辺は明確に動詞を用意する中国語の世界観である。
うれしさと感じるは別のものだ。うれしさは数えられる何かであり、それを感じたのだ。日本語のうれしかったは合体しており、しかも形容詞である。もっとも、「たくさんのうれしさ」とは言えなくもないが。
英語では単数にaがつく。日本語では数は曖昧である。
中国語も複数形の接尾辞など印欧語と異なり存在しないので、同じかと思えば違うらしく、単数であるなら、明確に一をつけなければならないらしい。
川が単数なら一条川と言わねばならないようだ。
このあたり中国語は主語必須数必須で英語に世界観が近い。
ただ中国語の世界観は現実がどうか? という部分が加味されており、未来の話をする場合、一は要らないし、あってもなくてもいいようだ。
なぜなら未来のことは決まっていないからだ。英語は未来だろうが過去だろうが単複は明示されねばならない。
英語では単複に時間は考慮されないが、中国語は考慮する。日本語はそもそも単複自体があまり考慮されない。
男性とか女性とかいうからこじれる
LGBTは思想なので私は嫌いである。
科学はなく思想なので、正誤はない。
いまどきイデア論を論じようものなら、馬鹿だと思うが、これと同じで、LBGT思想はばかばかしいにつきる。
個人的には、新しい利権の創設が本来の目的ではないか? と思っている(SDGsも同様。世界中の企業が同調するのが違和感)し、新しい男性社会のための手段(女性の相対化。またトランス女性はしばしその処遇が取りざたされる一方、トランス男性が無視される傾向にあるのは、女性優遇への一種の男性の反逆の形ではないか? とも思える)かもしれない。
なので、男性女性とかいうからこじれるので、X型Y型と呼び、あくまでも「遺伝子上の区別」であることを強調すればいい。男性女性というのは太古から(女装文化は紀元前からある)思想的で、科学的ではなかったので、科学的分け方をすべきだろう。
LGBTという唐突に作られた言葉(もしくは唐突に流布された)に対し、カウンターするならば、こちら側も新語で対抗すべきなのだ。