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クソヒーロー映画なんて誰が見るんだ? という正論は置いておいても、最近の若者はアメリカのエンタメを「格下」に見ている。アニメ、漫画、お笑い、ゲームなんでも日本Asナンバーワン、である。最近は野球も追加された。
これがパラレルで面白いのは、かつての若者はアメリカ文化が大好きだった。ヒッピー、洋楽、ジーンズ、アメリカ万歳だった。しかしそれはエンタメや文化の話で、政治的には学生闘争があったり、反米意識が強かった。
しかし、最近の若者はむしろアメリカ絶対正義論に固まっていて、アメリカはすべて正しいと思っている。政治的にはアメリカ大好きだが、エンタメ、文化ではそうではない。むしろ韓国よりであろう。
なんでだろう? といつも思うが、答えが出ない。
ずさんな国
私が思うに、今の日本を見ていると、日本人は勤勉かもしれないが、真面目ではないし、コネと隠蔽と捏造ばかりだし。
ということは、だ、ずさんな国でもアメリカの二番手、一時期なら一番にもなれる、ということを逆に示している。
そう考えると、中国が二番手なのは当然だし、ナイジェリアが次の大国なのも間違いないだろう。
日本のようなずさんな国でもここまで経済成長できたのだから、他の国だってできる。
かつてアルゼンチンは次の大国と言われたのだ。
嘘だと思うだろう?
19世紀、アルゼンチンは間違いなく先進国の一角だった。日本よりはるかに進んでいたのだ。
よく、フランス人やイタリア人は適当だ、怠け者だというが、じゃあ、19世紀になったばかりのころの世界最大の先進国はどこだったと思うんだ?
フランスだぞ?
イギリスと覇を競った超大国だぞ。
イタリアも同じ。戦前まで(高度成長期前までといってもいい)日本が経済力でイタリアを超えたことはない。
そう。ずさんだ、怠け者だ、ということと経済成長は関係ないし、ずさんな日本人が経済成長できたのが何よりの証拠だ。
日本人は勤勉で精緻だったから経済成長したわけではない。
ずさんだと日本人が蔑む世界の人々と同じく、日本人もずさんだ。
フィリピン人に言わせれば、始業前から仕事が強制されるうえ無給、始業後も給料が出ない日本人は時間にルーズでずさんだという。全くその通りだろう。
日本の街並み
・路駐の有無
・都市計画性
・建物の統一感
これらが決定的に違う。
日本の住宅街は衛生的には綺麗だし、路駐もないが、道がぐにゃぐにゃ、建物に統一感がなく、都市計画税とかとっておきながら、都市計画性が感じられない。
ほとんどの世界の住宅街はこの三要素、家に駐車場がなく路駐ばかり、道路自体は汚いが作りは整然としていて、建物主体ではなく道路主体で整備されたと思われる都市計画性がある。
電柱ではなく、共同溝となっているあたりも都市計画性を感じる。
また、個人住宅なのにどれもストリート毎に比較的統一感があること、ガーデニングが閉じておらず、開けていること(道路や公共スペースの一部のようになっている)が違う。
暗黙の公共性を感じる(欧米だけではなく、タイもそんな感じ)。
もちろん、田舎はめちゃくちゃだろうとは思うが・・・。
ただまあ、どこも新興の住宅街はよく似ている。が、この三つの要素が違う。
ただし、先進国でそっくりなのは、やっぱり韓国である。日本に精神、文化、地理、言語、人種的に一番近い国だから仕方ない。
韓国も共同溝化はあまり進んでおらず、建物に全く統一感が見られず、ソウルの道がぐにゃぐにゃである。ただし、日本と違い路駐が多い。
田舎になると、日本の田舎と韓国の田舎は似ていない。
韓国は中国とかと同じで、一か所に集住して、その集落を囲むように田園が広がるのだが、日本の場合、集住の密度は低く、各家が自分の畑や田圃の近くに家を建てるため、家がまばらになっている(農村の場合、武家は集住した)。
このへんに、生来の互助精神の低さ、公共性の低さが如実に現れている。日本では客家土楼のようなものは絶対に出現しない、と断言できるわけだ。
もっとも、日本だって、弥生時代までは集住するタイプの環濠集落が多かったが、のちに消滅した。
巨大な文化的もしくは人種的な入れ替わりがあったように思える。
こういった生活様式の巨大な変化は偉人と国家の歴史には表れない重篤な何かがあった、と見るべきだろう。
たとえば、中華料理から「膾」や「生魚」が消滅したことも巨大な文化的変動があったと見えるしね。
もともと和食は例によって中華料理のパチモンから始まったのだが、本家で消滅してしまった。
和服も同じで、高級な和服を呉服というが、これは「呉(中国南部)」の服というそのまんまの意味で、中国の呉服も日本の呉服そのものだったが、これまた本家でが消滅してしまった。
サッカーワールドカップの放映権
サッカーワールドカップの放映権
1998年は20億円(JFAが単独交渉)
2018年は650億円(電通が仲介、日本が世界最高額)
【AI】AIと楽しみと芸術 ~AIは芸術作品を原理的に作れない~
過程とは世間的には無価値だが、個人的には意味のあるものだ。
しかし、だからといって、自分以外の人間に、俺がこの絵にかけた情熱に価値を認めろというのはない。ナンセンスだ。
過程は第三者にとっては無意味でしかない。なぜなら、内面性の話である。
努力(過程)は人生を豊かにするが、それは完全に個人で完結していて、自分以外の人間には価値がないのだ。
だから、最終出力が同じなら、人だろうが絵だろうが、第三者的にはどっちもでもいいのだ。
つまり、過程に意味がないとするAI原理主義者の主張は、個人の枠内においては間違っており、世間的にはそれで正しい。
逆に、個人の努力や内面の価値が絵に出るという主張もまた、同様にナンセンスであり、それあくまでも自分自身にしか適用されないか、少なくとも親しい人間にまでにしか作用しない。
第三者にとって、努力だの内面だのはどうでもいいことでしかない。
だから、絵を描く楽しみをAIは決して奪うことはできないのだ。
心は征服できない。
絵を描く楽しみは完全に自分自身の感情、気持ちの話でしかないし、趣味の世界では無意味なことはいくらでも横行している。
将棋だって、プロでもないし、将棋ソフトに勝てないのに、毎日指しているやつはゴマンといるのだ。
なぜそうかといえば、単純に楽しいからで、勝ち負けの話でもない。どうせAIには勝てないのだ。
また、芸術というジャンルでは、作り手の内面やストーリーを含めて作品が評価される。
つまり、芸術作品をAIが滅ぼすかといえば、それは原理的に不可能なのだ。芸術作品とは人間の内面、ストーリーも含めた商品だ。
たとえば、バンクシーの絵はいたって普通の絵で何の魅力もないが、バンクシーという謎のアーティストが描いたというストーリーがあって、価値が出る。
あれを描いたのが私なら、無価値なのだ。ゆえに、AIは原理的に芸術作品を作ることができない。
純粋芸術というジャンルは、個人の内面の話とクロスオーバーする。
彼ら純粋芸術家たちは完全に自分のために芸術を作り、それがたまたま誰かの目に留まり、商品化される。
死後見つかる場合もあるし、死んでも露見しないこともあるだろう。
ゴッホの絵の大半も弟のテオが焼いてしまったので、全部焼いていれば、ゴッホは発見されなかった。
つまり、現在のビッグデータをもとにするタイプのAIでは背景がなく、芸術が作れない。人格が必要だ。
AIと努力や過程の無意味議論はこのあたりの定義が混乱しているからだ。
商業作品であれば、出力がすべてであり、作者の背景はどうでもよくAI化がなされるのは時間の問題だろう。
また、個人の創作であれば、これは完全な自己満の世界であって、AIがどうとかどうでもいい話であるし、そもそも個人が楽しむために自分自身のためにAIを使うということもありうる。
誰しもが、誰かに見せるためにAIを使うわけではない。
最後に芸術作品である場合、作者の背景が重要になってくる。
AIが芸術を生み出すには、AI自体に個性やストーリー、人格が必要になる。
逆に言えば、人格やストーリーをAIに与えるには、なんでもかんでも学習させる平均値化の学習ではむしろだめで、制限された学習が必要になるだろうし、一貫性のある思考様式や人格を感じさせるような処理をもたせるには、パターンマッチではだめで、ニューロンネットワークのような仕組みをどうしても組み込まざるを得まい。
AIで仕事がなくならないのは棋士を見るとよい。
各棋士にはファンがおり、対戦中に何を食べたかといったストーリーが話題になる。AIソフトにはこれがなく、面白みがないので、プロより強くても、一般人は興味がない。
だから棋士は廃業しない。
人間同士の戦いが生むストーリーを将棋ファンは求めているのであって、最適化された数値処理が見たいのではない。
AIは二歩を絶対にしないが、人間はする。観客は二歩で負けた棋士がいれば、そこにストーリーを見出す。
VTuberの流れもあてはまりそうだ。
最初、キズナアイはAIとして登場した。
中の人がいること明らかだったが、AIという設定を楽しむものだったが、彼女に続く設定のVTuberはでず、一部のVTuberに至っては、胃カメラだか腸カメラだかの画像すら公開し始めた。
そう、ガワの先にはAIではなく、結局、現実=ストーリーのある人間が欲しかったわけだ。
トランス男性が女子トイレに入ってくるのが怖いという女性の意見はもっともである
トランス男性が女子トイレに入ってくるのが怖いという女性の意見はもっともである。
まず第一に、トランスかどうかは、見た目では判断がつかないという事実だ。この時代に、髪が長くてスカートをはいているから女性なんてステレオタイプが通じないのは明白だし、その逆もしかりだ。
ゆえに、心は女性というだけでトランスを名乗っている場合、どう見ても男性であるのだから、恐怖を感じるべきだし、彼らは古いジェンダーに囚われていて、長髪・スカートをはき、心は女性を主張するのだから恐怖感は増す。
また、レイプされる危険も当然ある。
というのも、トランス女性でかつバイセクシャルまたはレズビアンで、膣成型手術を受けていない場合、陰茎によってレイプされうる(通常はペニバンを使うだろうが、ペニスがあるならそれを使うだろう)わけで、これは通常の男性から受けるレイプと同じである。
トランスがどうと関係ないし、同性間でも強姦は成立し得る(日本の方では成立しないが)と思う。
男だって、ガタイのいいゲイが便所に入ってきたら怖いと思うし、当たり前の話だ。
トランス女性という問題にするのは論理のすり替えだ。
同性にレイプされたから問題ないでしょ? とはならないでしょうや。
女性だって、女性に襲われたくはないし、男性がガタイのいいゲイに抱くのと同じ恐怖を、女性もまた、トランス女性(バイセクシャルかレズビアンかもしれない)はガタイがいいわけで、そりゃあ怖い。
そのトランス女性が元男性だから怖いのではない。勘違いするなよ?
トランスを語るやつに限ってジェンダー観が古いからそういう勘違いをして、糾弾してくるが、間違いだ。
だって、トランス女性(レズビアン)である可能性はどうしたって排除できまい??
体格差があったら簡単に犯されてしまう。
男性も海外で男性二人組にケツをほられた、というような話はよくきく。女性がトランス女性にレイプされない保証はない。
人類十大発明
・灌漑(紀元前)
巨大集落、国家の発生に必須。
・文字(紀元前3000年頃)
情報の蓄積の始まり、劣化せずに遠方へ情報を正確に伝える技術。
・船(紀元前)
貿易、通商、大規模輸送、植民の始まり。
・製鉄(紀元前)
半導体以前の最大の発明。多くの道具が鉄に置き換えられることで大幅に性能が向上することになった。
・火薬(10世紀頃)
火薬は戦争を新しいステージにすすめた。また、欧米の世界征服の必須の力であった。
・発電機・電気エネルギー(15世紀頃)
電気はあらゆるエネルギーを置き換える夢の力だった。
人力、畜力、水力、火力あらゆるものをいったん電気に置き換えることで人類はエネルギー管理を容易に行えるようになった。
また中央でエネルギーを生産し分配する中央集権的なエネルギーシステムが成立。
・複式簿記(ルネサンス)
現在の経済を生み出すために必須だったものだ。イタリアで誕生し、世界に拡散した。
複式簿記なくして資本主義の誕生はない。
・種痘(紀元前・19世紀)
中国では予防法として類似のものが紀元前からあった。種痘は初めて人類がウイルスに勝利した瞬間であった。
・ハーバー・ボッシュ法(20世紀)
人類の爆発的な増加の一因となった。先進国でも存在した飢饉を完全に過去のものにした。
・半導体(20世紀)
これまで人類が生み出してきたものの多くが半導体によって置き換えられている。半導体は安価で小さく、性能も高い。まさに夢のデバイスだ。
絵画や音楽、宗教がランクインしていないのは、それらは発明ではなく、本能枠だと個人的には思う。
なぜならこれらが存在しない人間社会は絶対にないからだ。どんなに遠く離れていても独立的に存在する。
また数字・数学などは発明ではなく、発見の類だろう。
ただ迷ったものがあった。
畜産である。上の10大では灌漑としたが、ここを農耕・畜産としてもいいかもしれない。また、船も航海術・天文学とセットで考えてもよいかもしれない。