憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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人間心理、社会的心理や精神性が歴史に与える重篤な作用

 現生人類はすべてホモサピエンスなので、集団毎の特性や知能指数に差があるとしても、基本同じである

 アフリカ人はIQが低いが、だからといって全員が低いわけではない。聡明な人間は聡明であるし、東アジアは平均値は高いが馬鹿は馬鹿である。

 このため、歴史上、私が疑問を感じるのは「なぜしなかったのか?」「なぜできなかったのか?」だが、それは能力どうこうの話ではないのだ

 たとえば、ニューギニア人は原始人の生活をしていたが、白人と接触後に、白人世界へいった若者はパイロットや科学者になった。
 親世代は石器を使い、コンピュータも飛行機も知らなかったが、子の世代はそうならなかった。つまり、これは能力の話ではない。人間は潜在的に他の人間ができることはできるのだ。

 また、アステカの国家の威信をかけて造成されたはずのテンプロマヨールはあまり出来のいい神殿建築ではないが、だからといってインディオの能力が低かったわけではなく、むしろ逆、スペイン人の指揮のもと、数年後には壮大な教会建築をいくつもつくるのである

 日本でも、ネジや火砲は全くそれに近いものすら発明されなかったが、種子島銃が手に入るや、コピー品を自国生産するようになる。

 だから、なぜしなかったんだ? できたはずじゃないか! と思うわけだ。

 この問題の極北のものがギョベクリテペ遺跡である。

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 この遺跡はこれまでの歴史学・考古学に対してまるで核兵器のようなシロモノだが、これも、他地域ではなぜここまで精緻な神殿建築がつくられなかったのか? という疑問がわくのだ。
 当時はどこも似たり寄ったりの狩猟採集生活だったのだ。

 1万年前とされるこの遺跡は下手をすれば紀元10世紀にこのレベルに追い付いていない地域も少なくないレベルのシロモノだ

 なぜだ。できたはずなのだ。他の地域も。

 ホモサピエンスは「概念」を非常に大事にする一方、「概念」に羈束されやすい動物だ
 できるはずなのにできないと思い込む。するとできない。
 これはスポーツなどでも、記録更新に大きくかかわる。

globis.jp

これを私たちの世界では、すごくシンプルにいうと、「人ができたことは自分もできる」と信じる性質があって、ひっくり返してみると、「人ができていないことを自分もできない」と考える性質があると言われています。実験では、これがもう少し根が深いのは、同じグルーピングをした人を見て、行動が変容すると言われています。つまり簡単にいうと、ウサイン・ボルトの記録が上がっても、日本人の記録に影響を与えにくいということなのです。その代わり、カリブの他の国の記録には影響を与える。反対に日本人の記録に誰が影響を与えるかというと、中国人の記録が影響を与える。そういうことなのですね。どこからどこまでを自分のグループだと思っているかは人によって違うのですが、スター選手が出るよりも、「おらが町」からスターが出るほうが全体の能力が上がるという研究があるのです。


 これが日本と非常に近い韓国が日本の高度成長に続くように漢江の奇跡をなしとげた最大の理由だろう。

 ネトウヨは絶対首を縦に振らないだろうが、人種的、言語的、風土的、地理的に一番近いのは韓国で間違いない。

 またこれは、なぜメシカのトラトアニはコルテスを首都に入れたのかという答えでもある。

 「戦争」の意味が違ったのだ

 旧世界の人間であれば、こんなアホなことをするやつはいない。少なくとも武器をそのままになんてしない。

 また戦い方がわからなかった可能性もある。

 なので、戦い方を会得してからは話が変わってくる。
 北米インディアンはいちはやく馬と銃器を白人商人(こいつらも大概である)から入手し、抵抗したため、圧倒的に先進地域であったメシカやアンデスよりも長く抵抗を続けることが可能となった。
 一部のインディアンは独自の文字も開発し、情報のやり取りも行った。

 結果、米国はラコタ族に対し「究極的に人道に反する行為」で彼らの殲滅を図る

 独立と和平を約束するとし、その調印式にラコタ族を招き、ラコタ族首脳陣を暗殺する。リーダーを失ったラコタ族は勢いを失って滅んだ。
 もうライン超えもライン超えだよ。

 この「戦い方」は重要だ。

 エチオピアはイタリアが来るまで長く独立を保ったが、この最大の理由はエチオピアは古代より地中海世界の一部で、まあ、「擦れていた」ことだ。
 国家的なもののなかった中央アフリカや南部のアフリカ人とは違う。

 中国は地図を見ればわかるのだが、清の時代と現在の中華人民共和国の領土はほぼ同じで、ロシアに若干掠め取られたのと外モンゴルを失った以外は大きく領土を喪失していない。
 これは早い話、中国人は戦い方をわきまえていた以外の何物でもない。

 清末のムーブは一見アホのように見えて、結局列強は大きく踏み込めずに終わった

 そもそも、清は拡大するロシア帝国に対して、これまでの方法を曲げ、条約を締結してすらいる。

 まあそのまえに清はロシア軍をボコっており(アルバジン戦争)、条約は結ぶ、しかし、これ以上の侵犯は許さないということで清末になるまでロシアは南下できなかった。

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 日中戦争でも、中国は明らかに不利であった。

 不利であったので、国共内戦は一時とりやめにしたあげく、蒋介石は美人妻を米国に送り、中国の窮状を訴えさせる。
 武器がないなら美人を使えばいいのだ。美貌は武器だからね。
 もうさすが4000年である。あの手この手である。

 結局、日本軍は碌な戦果は得られず終戦を迎える。

 戦後も、鄧小平は毛沢東が死んだとみるやちゃちゃっと路線変更をし、共産主義にこだわったソ連が崩壊する中、これを切り抜ける。

 もし、メシカ人が旧大陸の戦争になじんでいたならば、まずコルテスを招き入れるはずもなく、武装解除させ、宮殿に呼んだ後、囲み即刻切り捨てたに違いない(鎌倉幕府はモンゴルの使者の話も聞かず切っている)し、旧世界ではキリスト教徒の野蛮性はよく知られていた(だから日本も中国も禁止した)ので、キリスト教徒とみるや全力で叩き潰したことだろう(まさしくカトリックは世界の邪教であった)。

 もしくは、アフリカ人や日本人がしたように、銃器をささっと買い(絶対スペインサイドに売るやつがいるわけよ)武装したことだろう。
 実際、ポルトガル人は日本侵略は割に合わないとして諦めている。

もともとオタク界隈はユニコーンばっかりだった

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 私もこの人の同意。
 もともとオタク界隈はユニコーンばっかりだったのだ。何も今に始まったことではない。処女厨ばかりだった(中古のヒロインのために界隈が荒れる事件は何度もあっ

た)。

 ちょっとまえまで、Vをバーチャルキャバクラとオールドオタクたちは称していたが、まさにこれ。

 Vは生身感が強すぎ、オールドオタクとはあまり相性が良くない。

 昔の生身のアイドルは家にいながらメッセージは送れないし、アニメキャラへのガチ恋は幻想だ。その人物は存在しない。
 しかし、Vはファンとの距離が異様に近い上にガワ以外はほとんど現実の人間そのもの(言動含め)だ。

 オールドオタクは幻想を追いかけていたのだ。しかし、ニューエイジオタクは違うようだ。

「恋人がいて当たり前」を覆して「あなた達と同じ弱者だよ、こう見えて独りなの」が特別性になって商品価値を産み出してたんですよ、まあほぼ嘘で固めてるだけで当たり前に恋人いるんですけど。そういうアイドル文化のやり口を理解してない人が「恋愛は自由、可愛ければ恋人いて当たり前」とかを正論と信じて語るシーン多すぎないか?そもそもアイドルは偶像で、人権や法律持ち出したら破綻するんだよ、本来は。普通に恋人いる普通の女を応援することがアイドル文化になってる方が本末転倒なんだよ。

 これわかって幻想を追っていたんだよ。

 だから私もオールドオタクとして、ガワに包まれた存在が現実の話をするのがどうもしっくりこない。しないでほしい。Vはうんこしない。しないでほしい。

 キズナアイの路線はまさしくオールドオタク向けだったと思う。AIじゃないことはわかってて、のっかる。

 Vも最初はそうだったのだ。
 だから、キズナアイガチ恋とかいえば、「AIでーす」と煽るのだ。
 中の人いるのはわかってるんだけどね。わかってて、「それはただの絵」とか煽りあうのがオールドオタクだったはずだ。
 最近の子は繊細過ぎる。

 ホロも最初は設定に凝っており、キズナアイの路線を踏襲していたようだが、結局、サロメみたいに胃まで公開する連中が出て、今や、顔以外は普通にさらけ出すわけで、もう完全にトレンドが変わっている

zaitakusyufu.net


 これは、逆に、もしかすると、弱者男性の増加がむしろかかわっているのではないか? 原理的だったのはオールドオタクではないのではないか?

 古のオタクは30歳まで童貞といっていた。まあ、だいたいが30までには結婚したりしていたんである。

 つまり、実際は恋愛に余裕があり、だからこそ俺の嫁とかのたまっていた

 今の子は逆に恋愛に余裕がない。

 だから、AIお遊びのキズナアイではなく、中の人がちゃんとわかる路線のVを支持する。ヴァーチャルキャバクラに通わないと女の子と喋れないのだ!

 また、その30歳になって魔法使いになってしまったオールドオタクたち自身も自身の路線を変更した。余裕がなくなったのだ。

 これは生涯未婚率の上昇で、結婚できない中高年オタクが増加したのだ。

 彼らはリアルキャバクラを疎んでいる。だからVキャバに入り浸る。Vの客は40台も多いのはそのせいだ。

 

アニメだって今とは違う「オタク」が描かれた作品はたくさんある。
げんしけん』『らき☆すた』『乃木坂春香の秘密』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『ヲタクに恋は難しい』など、様々あるが、オタクの「引け目」がいかにオタク文化において重要な役割を果たしたかだったり、時代による変化も感じ取れると思う。

 ヲタクに恋は難しいはすごく違和感があった。2014年発表らしい。
 げんしけんはドンピシャだが、2002年だ。10年違う。
 げんしけんはいかにも冴えないオタクの日常だったが、ヲタ恋はリア充(これも死語だ)の物語にしか思えなかったし、登場人物にオタク・コンプレックスがない

 極めて不自然に感じた。
 らきすたのこなたはコンプレックスがない反面、逆にオタク趣味は大いに誇りにしている。これはそういうキャラ立てで、本来陰キャ的な趣味に誇りを持つというところに意味があったのだ。

私は1980年代生れで、戦隊モノはよく見ていたが、大人になってWikiを見たら記憶違いも多い

 私は1986年生れで、戦隊モノはよく見ていたが、大人になってWikiを見たら記憶違いも多い。

 たとえば、ターボレンジャーの次にカクレンジャーダイレンジャーで、ギンガマンで見るのをやめた記憶があるが、実際は異なっており、ダイレンジャーが先でカクレンジャーがあとだ。

 よく覚えているのは、ターボレンジャージュウレンジャーカクレンジャーダイレンジャーで、ギンガマンはもう高学年だったので、つまらなかった記憶があるのと、ギガマンという名前がダサかったので覚えているが、内容は全く記憶にない。

 ジュウレンジャーカクレンジャーダイレンジャーはOPも少し歌えるくらい覚えている。

 なにせ、三つともかっこよかったんだよ。

 で、ターボからギンガまで、見ていたはずなのだが、ファイブマンとかジェットマンとかタイトルすら覚えていないのがあったようなのだ。
 カーレンジャーは覚えているのだが、カクとカーの間にオーレンジャーなるものがあったのは全く記憶にない。
 ギンガマンとカーのあいだにもメガレンジャーなるものがあるが記憶にない。

 つまんなかったんだろう。

 そう思うと、カクレンジャーはやたらおじさんたちの昔語りに出てくる。ケインコスギが子供的には衝撃だったのもあるだろうし、メカもどこか有機的だったんだよね。
 ロボ、城だし。

 インパクトが大きかったと思うんだよね。
 同じ意味で、ブルースワットもよく覚えている。雰囲気が違ったんだよね。ほかのと。

上書き保存の件

 上書き保存ではない。
 ゴミ箱へ捨てる、が正しい。
 問題はここからで、男の場合、別名でちゃんとフォルダにいれて分類しているのに、ゴミ箱の中から「復元」するくそ女の存在である。
 こっぴどく振られたはずのモトカノから数年ぶりに突然電話が来る。それである。

 大抵の女は、捨てたあとに「ゴミ箱を空にする」ので、すっかり忘れる。

モテ格差は急速に肥大化しているのだろう、とは思う

 モテ格差は急速に肥大化しているのだろう、とは思う。

 なにせ、私の頃は、ヤラハタだの30歳で魔法使いだのといっていたが、もはや笑い話ではない。

 ヤラハタのや30歳で魔法使いはもはや少数派ではないのでネタにならない。

 かつて、25歳クリスマスケーキとか言っていた昭和の時代が私には信じられんように、今のティーンには平成の恋愛価値観は遠くなってしまったのだろう。
 しかし、なぜそうなったのか。よくわからない。

 私はいまでいう陰キャだったが、それでも女の子に縁があった。

沙花叉クロヱ引退

news.yahoo.co.jp


 YAGOOのカバーをここまで大きくしたのは才能があったんだろうけど、結局、顔が残念だけどそれ以外はいけそうな子に可愛いガワを着せるというコンセプトから結局逸脱してしまって、声優業界みたいになっている
 声優ももはや、アイドルなのか声優なのか歌手なのかもうわからん感じで、声優と言う職業そのものがもうないに等しい気がする。

 

zakkidr.hatenablog.jp

 


 YAGOOがすいちゃんの動画で、今は新人採用に関与していないというようなことを言っていて、まあ、ここらへんで終わったんだなあという気がする。
 結局、YAGOOの発掘した連中がうけているだけで新人は駄目だからだ。

 しかもAKBや転生ばかりで、初期のコンセプトからもう変わってしまった。 

 Vって、せっかく面白いコンセプトだと思ったんだけどね。




ユーロセントリズムを打破しろ!

karapaia.com


 素晴らしい発見だ。

 私は学生時代から、どうして文明は西⇒東へいしかいかないのか? と疑問だった。
 ゾロアスター教徒も、キリスト教徒も中国にいるのに、なんで逆はないのか? インド文明にギリシャ人がかかわった話はわんさかでてくるが、なぜ逆はないのか?

 まあ、この発見から察するに、「あったんだろう」である。

 ないのがおかしいんだよ

 キリスト教が中国までいくなら、仏教だってエジプトまでいっていいだろう?

 こういう発見は今後増えていくと思う。正確には、すでに「見つかっている」のに、研究されていないとかそういうやつだ。

 超貴重なアステカの絵文書も無造作に大学の図書館の棚にあったそうだし、ユーロセントリズム史観から見ると、非西欧の歴史資料の扱いなんてほとんどゴミみたいなもんだったのだ(グレコローマン資料は土器片一つも超貴重扱いなのに、だ)。