最近我が家の電気温水器がぶっ壊れ、エコキュートに変わった。
電気温水器は古いもので、大した機能はなかったが、エコキュートは多機能だ。
お湯の使い方を学習して最適なタイミングで湯を沸かすようになるらしい。また、長時間風呂に入っていないか見張り機能や給水口も排水を検知して自動で洗浄する始末だ。
しかし、工事費込みで80万円もするのに、10年しか持たないのだそうだ。
ハァ? と思った。
電気温水器は18年持ったし、実家の灯油ボイラー(機能? なにそれおいしいの? オンオフスイッチしかないけど)は40年稼働していた(というか壊れたわけではなくエコキュートに替えられた)。
電気温水器はエコキュートの半額、灯油ボイラーならさらに半額。で安いやつほど長持ちする。
過度な電子化は高価格化を招いている。そして、壊れやすくなっている。そりゃそうだ。シンプルな方が壊れない。
実家では薪で沸かすこともできた(お手伝いだった)が、こっちは機械部品もクソもない。
沸かし口はそう簡単に壊れない。壊れても左官に頼むだけなので、高くもない。気を付けるのは空焚きだけである。
今の住宅は個人で保守するのが難しい。
本当に世界は便利になっているのか?
私は疑問だ。
私はプログラマで、電子化の先兵の一員だが、どこかで便利化=電子化の波に違和感を感じている。
AIにしても、私は倫理や正義感や生理的嫌悪で嫌っているのではなく、どこか便利になっているように見えて、そんなに便利になっているわけでもなく、単純にユーザーの関与できないブラックボックス化だけが進行しているように見えるのだ。
たとえば、先の例でいえば、電気温水器が壊れてエコキュートが設置されるまでの2週間、フロに困ったが、っ薪で沸かす場合困ることはない。
風呂釜が一気にダメになることはないからだ。多少漏れても、風呂は沸く(実体験)。
メンテンナンス性でも昔の日本家屋は屋根裏にのぼれば電気配線があるので、簡単に付け替えができたし、LAN配線も余裕だったが、今の住宅は壁の中をCD管が走っており、無理だ。
外に出す場合もエアコンダクトを使ったりしないといけない。昔の家なら床にドリルで簡単に外に配線が出せる(まあその分、断熱性がカスで冬くっそ寒いが)。
素人のメンテンナンス性という意味では難しくなっているように思う。
車もそうだろう。
電装のウェイトが大きい今の車を弄る気にはなれない。
私はプログラマだからこそ、制御コンピュータがイカれるのが怖い。電子的なものは見てわからないし、暗号化されているが基本なので、解析も難しい。
電子機器はわけわからんエラーを吐く。
ゆえに、車の電装系を弄る気にならない。
機械制御なら、素人にだって見てわかる。歯車の形状がおかしいのは馬鹿にだってわかる。でも、ICチップは何も語らない。