今度のKDDIの障害で思ったのは、もはや電話回線はインターネット回線とほぼ同一なのだなということだった。
交換機とはいっても、アナログのそれとは似ても似つかないIP変換機である。
アナログ変換器ならデータベースなど要らないと思うが、データベースで加入者の回線を接続先に振り分けている。完全にただのルーターではないか。
ちょっとまえに、電話したら呼び出し音がやんだので話しかけても相手が答えず、仕方なく切り、しばらくしたら逆に電話がかかってきて、さっき自分が喋った内容が電話口から聞こえてくるという謎現象があったが、パケット通信ゆえの現象だろう。何か副葬したのだ。
アナログならタイムラグはあっても、こんなことは絶対にない。
NTTはすべてIP電話にすると言っているが、実質もうIP電話みたいなもんであろう。携帯電話はIP電話だろう。
いまだにIOT端末用SIMにも電話番号が割り振らているが、もはやこれも本当は必要のない単一性を担保するIDにすぎないわけだ。
そもそも、電気信号をハードウェア的に復号しているわけではないのである。携帯電話のコードブック方式がそれである。コードブック方式。考えるだに怖いのだが、確かにアナログ波形を送るよりもずっといい軽量な方式である。
しかし、思うのである。なんだかつまらんなあ、と。世界は多様性を訴えているが、ハードウェアの世界の多様性はなくなっていく。
私はカメラが趣味だが、これもそうだ。
2000年代なら、スチルカメラとビデオカメラは明確に違っていた。
そもそも、スチル用は一眼レフだった。しかし、最近はその垣根はほとんどないに等しくなった。ソニーやパナは中身の基盤やセンサーはほぼ同一のスチル機とビデオ機をリリースしている。違いは何かと言えば、ファンがついていて動画の長回しができるとか、ビデオ用のステレオ端子やヘッドフォンジャックがついているとか、ファインダーがないとか。そんなもん。本質的な部分に差がない。
最近IOTが話題だが、これにしたって中身はほとんど同一で、プラットフォームやサービスで差別化しているにすぎない。
かつてはマイコンチップもいろいろあったが、もはやほとんどARMになってしまった。
サーバや事務機にはx86もいまだに多いが、ARMになるのは時間の問題(10年後にはWindowsがARM版だけになるだろう)だし、FAシーケンサーも中身はARMパソコンとほとんど同一だ。
ハードウェアの多様性も消えるが、低次元のソフトウェアもまた多様性が失われている。
FAの通信規格は、かつての485形式は物理層しか定義していなかったので、さまざまな実装があったが、最近はなんでもかんでもイーサネットである。名称や仕様は違えど、所詮はTCP/IPの変種にすぎない。
APPストアに並ぶアプリも、独創性のあるものなどない。皆似たようなものばかりだ。ひとつヒット作が出るとガワだけ変えたコピーが雨後の竹の子のようにリリースされる。
AndroidとWindowsのクロスプラットフォームもあったり、HTML5を使っていれば最早OSの違いによる実装の差異もない。