地球を救うとかいうから偽善臭い。
単純に、人類文明を保持するために地球温暖化対策をする、というのなら、私は賛成だし、ストローなんかは繰り返し使ったり、エアコンはあまり使わないようにしたり、できることは多少はやってはいる。0よりはましだろう。
ただグレタには賛成できない。
地球を救うは大義名分にならない。
なぜなら、地球の気温は時代時代で違うのだし、氷河期だろうが、スノーボールアースだろうが、逆に灼熱時代だろうが、常に生命はいたのであって、単に人類が住めない状態になることが懸念されているにすぎない。
私は嘘つきが嫌いだ。
だから正直に、人類文明のため、と言えばいい。
エコ活動家が宗教じみた支持しか得られないのは、大義がクソだからだ。
ヴィーガンも同じだ。
牛豚は食い物である。食い物を食って何が悪いのか。人類はずっと昔から、マンモスを食ってきた。
牛豚と人類文明のどっちを優先するかと言えば、これは自明である。
なので、牛豚は食うが、牛豚に苦痛を与えることは倫理的に許されない、という主張は理解できる。だから、養豚場のような劣悪なものはなくしたほうがいい、とは思う。
実際問題、放牧でも、養豚場でも、利用する土地は大差ないというゴーストイェーカーという考え方がある。私はこれは正しいと思う。だから、放牧で牛豚は飼った方がいいし、そもそも、人類が長年食ってきた牛豚はそういう牛豚だったんではないか。