西洋文明、とくにギリシャローマに始まる文明は写実文化で、人類で初めて写実主義を生み出した偉大な文明だ、と日本人は思っており、これは単純に西洋人の思い違いと押しつけの産物なのだが、この妄言を信じてしまう理由もあって、それは、日本人の属する中華文明圏ではデフォルメが貴ばれていて、これは太古から一貫して変わらず、どちらかというと、運慶快慶みたいなやつらが例外なのだ。


 しかし、中華文明圏以外だと別に写実は当たり前に行われており、グレコローマンの発明でもなんでもないことがわかる。そもそも、ギリシャ人はその写実主義を誰から習ったかと言うと、エジプト人から習ったのだ。


 未文字時代のギリシャの彫刻および絵画は見れば一発でわかるが、エジプト美術のそれと酷似している。エジプトと言えばむしろ様式美の権化のように思うかもしれないが、これは違う。ツタンカーメンのマスクを見れば、その黄金や極彩色に惑わさらずに鼻や耳の造形を見てみれば、エジプト人写実主義的な面も持ち合わせていたことがわかる。そもそも、ミイラマスクはデスマスクであるので、生前の本人に似せる必要があった。


 絵画に関しても、紀元前3000年の段階で、かなり様式美になっていただけで、初期の絵画は躍動感のある人間が描かれていて、私たちの知るエジプト絵画と絵柄は似ているが、様式化されていない。


 ヘレニズムで写実主義が世界に伝播した、というのも嘘で、古代ペルシア人アレクサンドロスとは無関係に写実的な牛、山羊の彫刻、黄金の器などをつくっている。ただやはり、レリーフや絵画は様式化されており、これらはバビロニアの影響だろうし、そもそもエジプト自体が王朝が始まる以前に大きくウルク王朝(メソポタミア)の影響を受けたことが明らかになっているので、もとをただせばシュメール・アッカドに始まるメソポタミアの文化体系である、と言える。


 写実とデフォルメは古代から人類社会で共存してきた(ギリシャ人だって絵画についてはデフォルメ調のものが多い)が、特に「人間」については様式美とデフォルメが適用される率が高い。


 これははるか離れたアンデス文明でも同じで、アンデスでは写実的なネコ科動物の置物(デフォルメ調のものもあるしこっちが数としては多いが)をつくっておきながら、人間に関しては一貫してデフォルメ路線である。


 そう。グレコローマン文化がほかの文化と決定的に異質だったのは、「人間を写実として重視したこと」である。そういう意味でなら、確かにヘレニズムで人間を写実的に描くという風潮が広まりはした。


 この文化的な差異は、中華文明圏とヘレニズムの洗礼を受けた文明の「萌え」の違いとして現代にまで尾を引いている。中華文明はおよそヘレニズムの影響も受けず、そもそもヘレニズム自体がメソポタミアから始まる文化の一端にすぎなかったのだから、そこからずっと隔絶してきた。アンデス文明もそうだったが、スペイン人によって滅んでしまった。


 私たち日本人の二次オタが、西洋人の二次絵を「違う」と感じるのは、そういう長きにわたる文化的な伝統のせいだと思う。


 もはや、脳がその文明に適合しているのだ。だからどんなに造詣が深いやつでも、アメリカ人やフランス人の描いた萌え絵はどこか変で、違和感があり、アメリカ人でも「わかっているな」と感じるものは中華系だったり、フィリピン系だったりで、中華文明圏もしくはヘレニズム文明の系譜と長期間接触がなかった文明(フィリピンはオランダ人がくるまでずっと石器時代だった)のどちらかだ。


 人間を写実的に描かない(彫刻であってもだ)文化は、言ってしまえば、原始の残り香である。


 シュメール人は写実を芸術に取り込んだが、人間は対象外とした。エジプト人は人間も対象とはしたが、それはあくまで造形の話にすぎず、ポージングなどについてはデフォルメやカリカチュアが好ましいと考えた。ギリシャ人は人間にも全面的な写実を適用し、ローマ人は平面芸術にも写実は適用されるべき(ローマンモザイクなど顕著である)と考え、この考えは西洋でずっと勢力を保ち、ルネサンスによって開花する。


 そして、イスラムの勃興によって、彼らが偶像崇拝を禁じたことにより、ペルシアを除いた地域での絵画・彫刻芸術は明後日の方向へ向かうことになる。それは写実でもデフォルメでもなく、幾何学文様による芸術路線である。これによって、4000年以上にわたって続いたメソポタミアの伝統は消え、その残滓はヨーロッパにだけ留まることとなった。インドにおいても、後年、イスラム勢力によって同様のことがなされる。


 イスラム圏では「描かないこと」になったので、原始的な芸術路線を維持するのが中華文明圏のみとなった。中華文明はその成立が早く、メソポタミアやエジプト、ローマと異なり、大きな文化的破壊を受けることなく、古代の文明が継続してきた珍しい地域である。


 メソポタミアとエジプトはアラブ人(「描かない」という思想は人類史上異端的な思想だ。ユダヤ人ですら古代のパピルスを見る限り、少しも徹底していないかったそれを徹底したのだから)によってほとんど根絶やしにされ、新大陸はスペイン人によって消し炭となり、グレコローマンの伝統はキリスト教による衰退ののち、ゲルマン人によって破壊されたが、当時のゲルマン人はただの野蛮人で文明らしいものを何ひとつ持たなかったためか、文化の一部を接収し、グレコローマン文化は生き残ることにはなったが、大きな損傷を受けたのは間違いない。


 一方中華文明は漢代にその文化の基盤ができて以来、根本的に何も変わっていない。「物理的な」破壊は何度もあったが、「文化的な」破壊がなかったので、すぐに「物理的な」ものがほとんど同様に再建された。典型的なのが、宮殿建築だろう。


 中華王朝の首都は何度も燃えた。王朝が変われば燃えた。燃えなかったのは明の紫禁城だけで、満州人は燃やすことなく、それを接収したから、私たちは明代の部分(何度も火災にあっているため、明代の現存建築は多くはない)を見ることができる。そして、唐の以降や、周の遺跡を見る限り、だいたい紀元前からあんな感じだったようである。こういうことは極めて珍しい。


 文革でも破壊は行われた。20世紀どころか、近代までさかのぼっても想像を絶するような文化的破壊に見えた。しかしあれも、所詮は「物理的」破壊でしかなかった。中国人の価値観はむしろ、共産主義的なものよりも以前のものにさかのぼりつつあるくらいだ。儒教的な価値観は依然健在なばかりか、むしろ、復古する兆しさえ見せている。文革は精神的な部分は結局破壊できなかったのだ。


 私たち日本人は、西洋的写実をほめたたえる一方、写実を好ましく思っていない。アニメを見ないおじさんだって、パチンコでは海物語を打っているわけだし、老弱男女、ドラマを見ないやつよりも漫画を読まないやつのほうが少ないくらいだ。世の中には、ゆるキャラや二次キャラが溢れつくしている。ポルノは世界中にあるが、エロ漫画とエロアニメはほぼ日本でしか製造されていない(個人なら海外製もそこそこあるだろうが)。


 中国人も同様で、一昔前の韓国人のネトゲもそうだったが、スマホゲーを見る限り、もはや日本製との違いは見受けられない。これはもともと日本人が縄文人が文明化するとき、世界で唯一残存することとなる二次元文明の傘下に入ったためだ。元が同じなのだから、中国人がすぐ追付くのは当然だ。アメリカ人も最近はギャルゲーとかつくっているが、やつらが追い付くことは未来永劫、あり得ないように見える。


 フィギュア(つまり彫刻ジャンルだ)に関しても、最近の中国製は目を見張るものがある。


 ほとんど日本の萌えフィギュアと区別できず、区別可能とするなら、製造の品質(塗り、接着面の処理など)くらいしかない。一方、アメリカでは萌えフィギュアはとんと売れず、かといってリアルフィギュアでは地元メーカに勝てそうもないことから、コトブキヤアメリカ向けにアメコミキャラをリアルテイストを維持しつつ可愛くする(差別化)という感じのシリーズをリリースしているが、これは受けている。もちろん、日本ではあまり受けていないし、中国人もこのシリーズには興味がないように見える。


 これからの中国のエンタメ市場を狙うにあたり、日本人は圧倒的に有利(まあ韓国人もなのだが)だ。なにせセンスが極めて近い。