英語は表現が豊かだと思う

 日本人の多くは、日本語は表現豊かで英語はかっちりしているからビジネスに向いているみたいなことを言うが、違うと思う。

 

 そもそも、99%の日本人は日本語しか喋れないからそう思うのだ。英語のネイティヴも同じことを思っている。彼らにとって英語は表現豊かな情緒的な言語である。だから、論文なんかも、ネイティヴが書くと、情緒性が増してしまい、却ってわかりにくい。ノン・ネイティヴは文法の学習から入り、日記や作詩のためではなく、純粋な実用品としてその言語を使うから、論理的に見えるし、論文なんかも論理的に書く。

 

 日本語がビジネスに向かないとかいうのも、日本人同士でやるからで、この場合、英語を使おうが同じで、背景が曖昧なぁなぁの日本文化である以上、何語を使っても同じだ。
だから、日本語を使って、日本人と中国人が商談する場合は、曖昧性は減る。

 

 さらに英語が論理的だから世界共通語になったという認識も間違いで、単純にイギリスが世界を支配していたからに過ぎない。言語はだいたい、その担い手が支配した地域に広がる。日本語もかつては朝鮮、台湾、南洋で使用された。

 

 論理的だからではなく、日本人が支配者だったからだ。だから日本人がいなくなったあとも、憶えている人はいて、戦後も使用されたが、これも日本語が優れているからではなく、部族間での共通語がなかったため、誰でも知っている日本語を使ったに過ぎない。
 現状、英語も同じことだ。

 

 個人的には、英語の方がの日本語よりも表現に秀でているように思う。イギリスが世界を支配した関係上、世界中の言語を逆に取り込んだ面もあるので、語彙がめちゃくちゃ豊富だし、日本語の慣用句もかなり英語由来のものが多い(豚に真珠など)。
 確かに語順の制約は大きいが、表現を規制するのはこれくらいで、感情や態度を表す語句も日本語よりも多い。couldとかmayとかwouldとか日本語では表現できない。

 

 こういうと日本語は、ね、とか、よ、とか、だわ、だのぉとか語尾が豊富だ! 表現力がある! という人がいるが、別にそんなの本質的な単語ではないし、英語も別にできるわけだ。一般的でないだけで。

 

 敬語に関しても、むしろ、英語の敬語は日本語のように単語の入れ替え(言う→おっしゃる)ではなく、文そのものを組み替えたりする必要があり、より難しく、パターンも多い。そのため、教養がある人間以外使えず、耳にする機会がないだけだ。

 

 また、単語は日本語は非常に意味の取りうる範囲が狭く、具体的な単語が多く(日本語は極端に形容詞が少ない。形容詞は抽象性の高い単語群だ)、英語よりもずっと単語は明瞭で、ちっとも曖昧ではない。英語なんか単語の意味が広すぎて、さっぱりわからない。classなんてそれだけじゃマジで何のことかわからない。
 だから英語では文が重要だ。
 その単語が使用された文脈が大事だ。

 

 オバマのChange!も日本語で言えば「変わる」という別にどうでもいい単語だが、それが言われた背景込みで意味を持つ(文脈依存)。

 

 英語にはこういう事例が多い(armorも鎧の意味も現代の兵士の武装の意味ある)が、日本語では少なく、日本語の場合、こういったときは新語がつくられるか、東国原の「どげんかせんといかん」みたいな一般的ではない方言などが使われ、既存の単語の意味が拡張され、曖昧さが増す、ということはない(たとえば、生物用語のセントラルドグマはもともと宗教用語なので転用によって、意味が増えてしまった)。

 

 一方、日本語が語彙が強く、言った言わない論争は、文脈の論争ではなく、単純に単語を言ったか言わないかの論争だ。日本語は単語の意味が狭く、具体的な定義がされていることが多いため、日本語ではこの具体性を曖昧化することが多い。
 たとえば、「等(など)」という接尾辞である。
 りんごと言えば明確なのに、りんご等といった瞬間、曖昧になる。りんごである必要性がないのだ。英語ではこれは言えない。

 

 前述のように、日本語は単語レベルでは明解である。しかし、英語とは逆に文にすると曖昧性が増す。否、曖昧性が増すように運用されている。文法上「等」のような接尾辞は必須ではないのだから、明確な文は作れるのだ。

 

 英語の小説なんかを読むと、英語の表現力にうんざりする。日本語では無理だな、と思うことが多い。ただ、語順と文字(三種類あるので)の関係で登場人物の言い回しを簡潔に変えられるのは日本語が有利で、XX saidみたいなのをいちいち入れなくてもいい。
 あと単語の意味はかなりふわっとしていて、ちゃんと文意を汲まないとわかりにくいのが英語はうざい。逆に日本語は流し読みみたいに単語を拾っても成立する。

 

 日本語の方が論理性が高いのは国名なんかでもわかる。
 たとえば、フランス、フランス人、フランス語、フランス料理。明確なうえに、フランス+〇〇で構成されており、論理的だ。
 英語は違う。
 France,French,French,Frenchである。

 

 〇〇人という表現自体にも一貫性がない。
 たとえば、アイルランド人はIrlandだからIrish、イギリス人もEnglandだからEnglish、ならアイスランド人は? Icish? 否、Icelanderである。しかも、アイスランド語はIcelandicだ。じゃあ、タイは? タイ人はThaiで国としてのタイがThailandである。本当に頭おかしいと思う。論理性のかけらもない。