彼のムーブを見ていると、絶対に自分が悪くないと思っている。たぶん、人生で謝ったこと(形式的ではない謝罪)はないんだろうな、と思う。
最初は自己保身のためだけに謝っていると思っていた。
しかし、アメトークの解散番組とか見るに、こいつはサイコパスなんじゃないかと思えてきた。
本人はたぶん本気で謝っているつもりな上、しかし、自分に非があることが理解できていない。だから何度謝罪しても、ズレていて、ひたすら反感を買うのだ。
が、これが彼は理解できない。
絶対に目が笑わないのも昔から怖かったし。あの目は普通の人の目じゃない。
反社との付き合いの件で、亮との差は、結局、謝罪の在り方にすぎない。亮は少なくとも、小心者ゆえか本気で謝っているように見えた。
彼が干されて仕事をなくして路頭に迷うことを心配していた(全員そうだろう)としても、それゆえに狼狽し、後悔しているように見えた。
だから見ている人は彼が可哀想に思え、許すことにしたのだ。彼は精神的に疲弊し、十分罰を受けたと視聴者は思った。
一方、いつまでも平気な顔(自分が悪いと思っていないのだから当たり前だが)で形式的な謝罪を繰り返し、少しも狼狽しない宮迫は、何ら罰を受けていないように見える。TVから干されても、youtubeでやっていけるとのたまうから、経済的な罰も受けていないように見える。
だから許されない。
しかし宮迫は理解できない。自分に非はないけど、謝った。謝ったのになんで世間は自分を許さないのだろう? と。
罰を受けていないからだ。
youtubeも一週間で再開だそうだ。本当に思慮が足りないなんだな、と思う。長く謹慎すれば、罰が成立するのに。