憂邦烈士連合会@ソロプレイ

IT、PG、アニメ、エンタメ、政治、歴史、時事、社会、カメラ、etc

古代ギリシャの異様さは現実の重視にあったと思う

 古代ギリシャの異様さは現実の重視にあったと思う。哲学は寧ろ、ギリシャ文明の傍流だと思う。イデア的だからだ。

 ギリシャでは写実造形や体育と言った「現実」が重視された
 これは異様なことだ。
 
 古今東西、どの文明も現実は厳しくつらいものなので、あの世や非現実に夢を抱いた。
 もちろん、これは現代人も変わらないし、インドではブッダが、「現実から逃避する」の究極形である解脱を発明するに至る。

 仏教は他の古代宗教と違い、現代でもその思想が通用しうるのだが、その根本原理が「現実逃避」にあることと「個人救済」にあることだと思う。

 さて、地中海世界でも、西ローマが滅亡した後は、元の流れに戻り、キリスト教の影響もあって、肉体は穢れた仮宿。現実はクソであり、人生は罪深い。最後の審判に天に召されようという至って普通の感覚に落ち着く。
 これはいたって現実的な世界への視座だった。

 現実は美しいとか素晴らしいとかアホの言うことであった。
 現代人には想像もつかないが、骨折や虫歯で死ぬ時代なのだ。盲腸も不治の病で、恐れられた。

 古代ギリシャの異様さは、ヨーロッパ文明が現実を征服するに至り、再発見されることになる。

 科学と機械文明、医学によって恐るべきクソな現実を、物質消費文明に代えていく中、オリンピックの再発見はまさに画期だった
 肉体は罪深い仮宿ではなく、肉体的強者は素晴らしいという異様な思想が始まったのだ。これは人類史上、異様な考えなのだ。

 私たちがそう思わないのは、あたかも古代ギリシャから連続してヨーロッパ文明が形成されたかのように洗脳されていること、文明の記述がヨーロッパ偏重であることに由来する。
 現代ヨーロッパ文明は18世紀に古代ギリシャを再発見するまで、古代ギリシャとは縁もゆかりもないゲルマン人が支配するキリスト教世界だった。

 日本では肉体、つまり現実は当然のように重視されなかった。
 昭和の終わりになっても、田舎では日焼けしたマッチョは侮蔑の対象であった。
 古代ギリシャ人がマッチョを素晴らしい人間だととらえたのとは全く異なる。

 なぜって?
 
 日焼けしたマッチョというのは早い話、農民だからだ。
 朝から晩まで働いて、学もない、教養もない、クソな人生の見本のような肉体だったからだ。
 江戸時代も同じ。上級武士ほどおしろいを塗ったりしていたし、籠で移動するからモヤシのようにであった。武士=武人のはずで変な話ではあるが。

 昭和の終わりになっても、巨乳は侮蔑の対象であったが、これも大きな乳房は母親や子供を連想させる。
 ものすごく、現実的な乳房だ。
 実用(授乳)の観点から、授乳時に乳房は巨大化するので、大きな乳房は現実性の塊のようであったし、同時に、仏教的に忌むべき輪廻転生、つまり、子孫を想起させた。

 だから和服のデザインからそうであるように、日本人はのっぺりとした現実味のない肉体を欲した
 仏教の影響は食事(肉食禁止)だけではなく、服飾はスタイルにも少なからぬ影響を与えただろう。
 そう考えると、東アジアでもひときわ胴長短足寸胴体型の日本人にも、ある意味で納得できる。
 なにせ、朝鮮半島では僧侶はエタヒニン扱いだったし、中国では儒教道教に続く三番手の地位である時代がほとんどだったからだ。

 これはヨーロッパも同じで、貴族の胸は小さく描かれた。
 小さい乳房は非現実で、農民の女は大きく描かれた。巨大な乳房は厳しい農作業と、子だくさんの貧乏人を想起させたのだ。

 中国では武官というのは冷遇された。
 色白で世捨て人のような優男こそが、理想とされた。彼らは野良仕事もしなくてもいいし、争いごととは無縁だ。仙人や世捨て人は、現実的ではない人間で、だからこそ理想だったのだ。

 イランでもインドでも、古代エジプトでも、肉体は重視されなかった。

 だから同時に写実表現も重視されなかった。
 勘違いしてはいけないのは写実表現を知らなかったわけでも、できなかったわけでもないことだ。
 ヘレニズムでギリシャ芸術が世界に伝搬したというのは嘘だ。世界中どこでも写実はあった。

 しかし、写実は人間にはほとんど適用されなかった。
 イランでは写実的な羊や山羊の像が見つかるし、エジプトのミイラマスクは写実的だし、日本でも写実的な木彫り像はいくらかある。できなかったわけではないのだ。
 そうではなく、現実の人間を写実的描写する必要性も、したいという需要もなかっただけである。

 なぜなら、現実は素晴らしい。現実は金と夢でまみれている。努力すれば叶う。
 そういうことを近代までほとんどの人類は考えなかったのだ。

 だからこそ、古代ギリシャ人の異様さが際立つ

 彼らは何だったのか。

 さて、古代ギリシャ人たちはペルシア人を肉体的にも哲学的にも劣った連中と罵りながら、強いあこがれを持っていたのも事実である。ヘロドトスもペルシア文化と帝国へのあこがれを隠せていない。
 もしかすると、ペルシア人ギリシャ人を傭兵につかっていたことは無関係ではないかもしれない。

 ペルシア人は他の民族同様、軍事、肉体、現実よりも、宗教や精神、あの世を重視していた。
 だから、忌むべき職務(軍事)につくのは自分らではなく、田舎者のギリシャ人だった。ギリシャ傭兵は壮健で強いと評判だった。

 つまり、肉体的に優れたギリシャ人は、よりペルシア人に重用される可能性が高かった、ということだ。

 これがギリシャでの肉体賛美につながったのかもしれない。

 異民族を傭兵に使うプランは、ロシア帝国がコサックを使ったり、古今東西いろいろあるが、ギリシャ人は比較的従順でペルシア人の言うことをきいていたようである。
 このあたり、ローマ人がとてもではないがゲルマン人を扱いきれなかったのと対照的だ。
 ゲルマン人は真の野蛮人で、古代ギリシャ人は少なくとも、文明化していたのが大きいのだろう。

 ゲルマン人はローマ文化に憧れるほどの文明程度になく、彼らの興味はローマの富と女にしかなかった、ということだろう。

 しかし、まさか世界を最初に支配したのがゲルマン人アングロサクソン人とフランク人)になろうとは、一体だれが想像できただろう。
 近代以前なら漢民族トルコ人かモンゴル人、スペイン人、アラブ人が有力候補だったろう。