古代ギリシャ人が偉大だと日本人は思い込んでいる。というか、世界中がそう思っている。
しかし、これはおそらく過大評価、もっといえば、間違いだ。
というのも、一昔前まで、地中海文明のほとんどはギリシャ人がつくりあげた、と思われていた。
理由は単純。残存する古代の資料がほぼほぼギリシャ語だったからである。
が、20世紀になって、陸続と粘土板やパピルスが発見されるに至り、疑念がもたれた。
ヘロドトスはその著作で、「ギリシャ人はペルシア風の格好をして、ペルシアを崇めていた」とか書いたせいで、ユーロセントリストたちから、世紀の嘘つき呼ばわりされてきたが、むしろ、ヘロドトスは正しいようである。
素人目にもわかるが、ギリシャのアクロポリスはどう見てもペルセポリスの列柱構造をまねたようにしか見えず、当時のペルシア人は縫製された服を着ているように見えるが、ギリシャ人はヒマティオン、つまりは貫頭衣を着ている。
貫頭衣が次元の低い衣装なのは論を待たない。
ゆえにペルシアから舶来する物品に魅力は十分あっただろう、と思う。
そもそも、ペルシア人はギリシャ人を傭兵で使ったが、これは後年、ローマ人がゲルマン傭兵を使ったのと同じで、最後の展開もそっくり(西ローマはゲルマン人に滅ぼされ、ペルシアはギリシャ人に滅ぼされた)だ。
ではなぜか、ギリシャ語の文書ばかり残っていたのか。
これは第一に、東ローマ帝国の存在だ。
日本人も西洋人もラテン語がリンガフランカだったと思い込んでいるが、その時期は短く、西ローマなきあとは西ヨーロッパでしか主に通用しなかったので、地方共通言語にすぎない。
ラテン語はそのイメージとは裏腹に、リンガフランカであったアラム語、サンスクリット、中世ペルシア語、漢語には全く及ばないのだ。
ラテン語があたかもリンガフランカのようにふるまうようになったのは、西洋列強が世界を支配する過程で広まったからにすぎない。
一方、トルコに滅ぼされる直前(13世紀ごろ)まで世界随一の大国だった東ローマの公用語であるギリシャ語は、地中海から中央ユーラシア、北アフリカに通用するリンガフランカであった。
東ローマは1000年以上も存在したので、ギリシャ語の通用力は大変高く、また、ギリシャ語の資料や文献も多数が保存された。
ペルシアは何度も異民族の支配を受けたり、帝国が交代したりしたため、資料は散逸し、ほとんど残っていない。
これはエジプトも同様だ。
インドの場合は、気候の問題で資料が残りにくかった。
さらに東南アジアは湿潤な気候のため、紙の文献はほとんど残らず、自然物を使った資料は石碑以外はほとんどない。
日本でも南へいくほど資料は乏しくなる(琉球や薩摩はその歴史的な意味に対し異様なほど資料がない)。
そう、単にギリシャ人の著作物は多く後世に伝えられたに過ぎない。
散逸したものはなかったことになるのだ。
ペルシア人の医学書や、哲学書もあったかもしれないが、そんなものは残っていない。
エジプト人のものも多少は残っているが、エジプトも数百年にわたってギリシャ(プトレマイオス一族)に支配されたため、ギリシャ語の資料が多い。
古代エジプト語の正当なる子孫であるコプト語は、デモティックではなく、ギリシャ文字由来の文字で書かれる始末だ!
同様のものに漢語、アラビア語がある。
というか、漢語、アラビア語、ギリシャ語に書かれたことを信用しなければ全く歴史がわからない、という状況にある民族は多い。
日本も飛鳥時代以前はそうだ。
漢語は民族の言語というよりは、中国の支配者の言語として君臨した。
このあたりが民族衝突による影響をあまり受けなかった最大の理由だと思う。
というのも、漢民族という概念自体が、漢語を日常的に話し、夏王朝以来の風習に暮らす人とほとんど同義だからだ。
このため、漢語は異民族に支配されたあとも、異民族自身が漢語を使うという状況になった。
そうならなかったのはモンゴルだけで、満州族のように同化が進みすぎ、満州語はほとんど死語になってしまった例も多い。
というか、唐も北の異民族拓跋氏だが、ほどなく漢化された。
結果として、漢語で書かれた文書は後世に伝えられることになった。その代わり、異民族の資料が漢語以外ではほとんど残らない、という事態を招いた。
とはいえ、トンパ文字やロロ文字といった世界中のどの文字体系とも独立した文字体系が山奥に残存し続けたのは中国の広さを感じさせるが。
アラビア語も多くの資料が残存しているが、今度は逆にアラビア語には中枢がなかった。
イスラム教徒であれば、誰でも使うべき教養であった。
つまり、イスラム教徒が滅亡しない限り、アラビア語は滅亡しない。ここはラテン語がキリスト教と必ずしも結びついていないのと対称的である。
もっともラテン語その後、科学と結びつき、現在、私たちは何を学ぶにしてもラテン語の呪縛から離れられなくなった。クソだと思う。
さて、世界最古の大学はイスラム教徒によって建てられた。
キリスト教と違い、近世までイスラムでは、コーランに反しない限りにおいて学問は自由だったので、多くの本が出版された。
また、この過程で、ギリシャ語やサンスクリット、中世ペルシア語をアラビア語に訳すことが行われた。
というのも、アラブ人は新米(七世紀まで野蛮人だった)だったから、資料の採集にいたく熱心だった。
おかげで多くの資料がアラブ語訳でのみ残存することとなった。
もっともアラビア語は中枢がなかったのが災いしてか、18世紀以降、その権能(宗教以外でのもの。近世までは科学、音楽、貿易などにおいても強い力を有した)を失った。
もっとも、ギリシャ語はオスマン帝国に東ローマが滅ぼされたときに滅んだに等しい。現代ギリシャ語は取るに足らない何の神通力もないマイナー言語である。
漢語だけが現在も引き続き強い権能を有し、膨大な文献を生み出している。
さて、古代ギリシャ人が古代ペルシア人(子孫のイラン人を見る限り昔から有能に見える)や古代エジプト人、古代漢民族に比べ優秀だったとは思えない。
さきにもいったように、単純に文献が多く残っているから、そう見えるだけだ。
しかしながら、古代ギリシャはひとつだけ「とんでもない大発明」をやった。
いや、正確には改良だ。発明ではない。
だが、これはその後、ヨーロッパが世界を支配する遠因、最大の理由となったと私は思っている。
そう、ギリシャアルファベットの発明である。
これは彼ら自身全く思いもよらなかっただろうが、2000年後にヨーロッパの世界支配の礎になるのである。
どういうことか。
まずアルファベットが威力を発揮したのが印刷である。
印刷技術そのものは中国で生まれ、ほぼそこで完成した。
中国人ではなく西洋人の手が加わるのは、のちに自動化されるときくらいで、印刷術そのものは中国でほぼ完成してしまった。
金属活字は朝鮮で生まれたが、使い勝手の悪さ(重い、コストが高い)から、普及は遅れる。
印刷術は中国で発明されはしたものの、中国語はおよそ印刷に不向きであった。
膨大な漢字がネックだった。
そのせいで日本人は活版印刷を中国から習った後も、結局、木版印刷と写本を明治維新まで続けてしまう。
明治維新のような外圧と多くの資金が投じられない限り、活版印刷はコストが高すぎ、民間の版元は使いたがらなかったのだ。
が、アルファベットはすこぶる印刷向きだった。
漢字のように膨大な字数がない。
記号含め、活字は30個もあればいいのだ。
ついでにアラビア文字のように、文字同士が複雑に結合することもなく、タイ文字のように文字が上下に伸びたりもしない。並べるだけだ。
結果、ヨーロッパでは活版印刷がすぐさま普及した。
これは情報の流れを早め、学術の発展を促し、公文書作成を容易にし、中央集権と植民地支配を少人数の官僚機構で管理することを可能とした。
ヨーロッパの覇権(植民地支配)はこの活版印刷の普及が半分以上の要因だと私は考えている。
もう半分は、彼らの肌が白かったこと(また後に語ろうと思う)で、別に西洋人が優秀だったわけではない。
単なる文字の差異と人種の肌の色の差異でしかない。中国はこの漢字による非効率にその後も永続して悩まされることになる(日本もだが)。
次にアルファベットが威力を発揮したのはコンピュータの分野である。
ASCIIコードは1バイトですべてを表すことができるが、他の文字体系はこれができない。
このため、コンピュータは西洋以外では誕生し得なかった、誕生したとしてもそれは演算機止まりで、事務機として成立しなかっただろう。
事務機として成立したからこそ、アメリカによるデジタルな世界支配がはじまったのだ。計算機どまりなら、学術分野以外では使用されなかったはずだし、使われても電卓どまりだ。
コンピュータ時代の初期段階では日本も食いさがったが、まあ、漢字を使っていた以上、無理な話だった。
で、実はここでも、文字コードを世界で最初に発明したのは中国人なのである。
毎度毎度思うが、中国人の優秀さには頭が下がる。
彼らはだいたいの人類史上有益な発明を最初にしている。
が、なぜかそこから先がない。
たとえば、羅針盤を発明しておきながら、まったく有用に使わず、有用に使ったのは西洋人で、世界を植民地化した。
火薬ロケットを発明しておきながら春節の遊びに使って終わった。
などなど。
なんでだ? といつも思うが、この文字コードについては漢字の体系が仇になったのだろう。
中国ではモールス信号で文章を送る際、漢字をコード化して送るという手法を取った。
これは世界初の文字コードであると同時に、デジタルデータに近しい概念だった。
なにせ、コード長は基本的に固定だったからだ。が、人間の手で復号するのは大変だった。
もし、アルファベットを発明したのがギリシャ人ではなく中国人で、ギリシャ人が漢字を使っていたなら、今もヨーロッパは世界の田舎で、アフリカと大差なく、相変わらず中華帝国が世界一の金満国家で、アラブ人が世界の科学をリードしていたことだろう。