ケンドーコバヤシの至言、「女は嫌いだが女体は好き」発言は素晴らしい。
世界中の男性が全面的に同意するであろう。神の摂理と言ってもいい。
似たようなことがある。
私はいわゆる女性的な服飾が嫌いなのだ。
ヒールの靴、ブルマー、タイトスカート、レースだらけの下着、女性の象徴としてか好きな男性が多いが、私は嫌いだ。
むしろ、運動靴、軍服、スポーツブラといった女性性が薄いか、もしくは男性的であるほうが興奮するくらいである。
が、セーラー服は好きだ。矛盾? 違う。そもそもセーラー服は水兵の軍服だ。それが男児用子供服となり、女性の制服になった。
スクール水着は嫌いだが、競泳水着は大好きだ。
おそらく、スクール水着は女児しか着ないが、全身水着は男性も着用することがあるうえ、スポーツ用という点に女性性の薄さを感じるのだろう。
タイトスカートは嫌いな反面、スカートは嫌いではないが、これにしてもタイトスカートは女性しか着ないが、スカートはスコットランドでは男性の礼服だし、日本でも袴はスカートの一変種ともいえる。
同じように今度は男性性で凝り固まったようなものも嫌いだった。
甲子園は大嫌いだが、男性性の象徴のようなところが高校野球にはあるからだろう。
相撲は嫌いではないが、こちらが女性を忌避するのはまだ神事という建前(半分捏造だが)があるのに、野球はアメリカ生まれの外来スポーツなのに、女性をベンチに入れるなとかいう意味不明なミソジニーを発揮するから嫌いなんだと思う。
いわゆる大和なでしことやらも私は嫌いなのだ。
お転婆なくらいがいいじゃないか、と昔から思ってきた。
お転婆でなくても、一歩引いているような典型的日本女はイラっとするだけで、嫌いだ。責任感がないし、男頼みで役に立たない。その陰口だけは偉そうなのだ。