憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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LGBTなの何が反対って「自認」であること

 LGBTなの何が反対って「自認」であることだ。
 そういう意味で、LGBTは「思想」の話だ。科学の話ではない

 ゆえに、私は科学的な根拠のあるLGBTは良いと思うが、現状、LGBTはただの「思想」でしかない。
 思想には善悪もないし、是非もない。
 どちらかが正しいかは議論ではなく、「支持者の数」で決まる

 ゆえに、私は支持しない。

 しかしながら、性同一性障害半陰陽といった客観性のある男女ではわけることのできない人々がいるのは事実である。彼らは科学的、物理的に根拠のあるLGBTである、といえる。

 そして、現在のLGBTは「思想」でしかないため、この「根拠のあるLGBT」と混同されており、本来なら「自認」ではなく、「肉体的にそうなっている」人々が不利益を被っている

 たとえば、本当にホルモンバランスや胎内での影響によって、女性の精神+男性の肉体なのに、女子トイレに入るとLGBTを笠に着た「盗撮目的」と思われてしまう戸籍上の男性、というのはいるはずだ。

 だから、思想としてのLGBTを是認するわけにはいかない。私は個人的には「思想としてのLGBT」には断固として反対する

 それは先にも言ったように、遺伝子的には男性だが、ホルモン不感症のために第二次性徴がこずに、見かけ上女性的な人というのはいるし、そういった人が「私は男性でも女性でもない、Qだ」というのなら、私はそれを支持するし、女性だといえば女性として遇すべきと考える。

 なぜなら、彼らは「現代社会に合わせて、本来肉体的にどっちでもない性を決めなければならない立場にあった社会の被害者たち」で間違いないからだ。
 半陰陽、いわゆるフタナリの人もそうだ。男性器も女性器も有している人間を男性なのか女性なのか、ということ自体に無理がある。

 しかし、社会は男性と女性しか認めてこなかった。

 だからフタナリの人物が、男性か女性か、どっちもでないか、選べるべきなのを否定することはできないし、私は否定しない。
 救済すべきは彼らであって、「自認」なんてアホなことをいうやつは徹底的につぶすべきなのだ。

 つまりだ、LGBT問題は現状、彼ら「肉体精神が客観的に見て男女で決められない」人々は議論の中におらず、ただ女になりたいだけの男、男になりたいだけの女が喚ているだけに過ぎない
 そもそも生物学的な性はグラデーション状になっており、明確性を欠く。
 にもかかわらず、LだのGだのTだのと分類を増やす行為そのものが、彼らLGBT運動家が「こっち側」つまり、「男性か女性か明確に区別できる状態にある人々」だ、といえる。

 だってそうだろう?
 生物学的性はグラデなのだから、Q以外ないはずなのだ。LGBT運動家は思想家にすぎない。
 思想家というのはむやみに分類を増やしたがるものだ

 だから「自認」を重視するというか、根拠が自認しかない

 また内心の自由は保障されてしかるべきだが、根拠が自認なんてのはどこの世界でも通らない。そんなものは通じない。そんなものを通してしまっては、社会制度そのものが崩壊する

 思想問題なので、「私は共産主義者です」(自認)と同じことだ。

 ゲイやレズにしても、本当に同性しか愛せないのなら、私は必ず客観的根拠があるはずだ、と考える。
 脳や体内ホルモンに何か理由があるのではないか。それがわかれば、ゲイやレズも「客観的根拠」があるわけで、「自認」など必要はない。
 つまり、LGBTがどうかという議論は無意味である。そもそも議論する必要がない。
 必要なのは、「客観的根拠」の追求、究明である。

 それがわかってから議論しないと、「いったもん勝ち」にしかならない。