アレクサンドロスが支配した土地のほとんどは元ペルシア領である。エジプトもシリアも、当時はペルシア領であった。
ペルシアはサトラップ制や駅伝制を導入した世界初の帝国だった。
巨大な官僚機構が一元的に世界を支配する体裁を整えた初の帝国だった。
だが、これは裏目に出た。
早い話、このおかげで、ペルシア皇帝がマケドニア軍に敗北し、統治者がアレクサンドロスに、ペルシア貴族がマケドニア貴族にすげ変わっても、帝国は崩壊することなく維持できたのだ。
実際のところ、ペルシア帝国自体、一度王統が変わっている(アケメネスなど存在しない)のだが、問題なく帝国は運営された。
そんなことは過去の帝国ではありえないことだった。
ペルシア帝国は私有国家としてではなく、世界初の官僚国家だったのだ。
確かにアレクサンドロスなきあと帝国は分裂するが、プトレマイオス朝もセレウコス朝も300年近く存続するのだ。これはペルシアの統治機構が堅牢だった証左だ。
で、この手の話はよくある。よくあるのだが、歴史好きにはつまらん話なので、きこえのよいアレクサンドロス英雄譚を好む。
中国史でも、劉邦が300年以上続く漢を生み出せたのは、秦のおかげで間違いない。
秦はその強権的な支配でほろんだわけだが、そのおかげで、中国大陸の度量衡や漢字が統一されており、また、河川や道路、法も整備されていたために、漢は容易にそれを簒奪したにすぎない。
漢が手を加えたのは、儒教による支配原理だけであった。
日本でも明治維新の成功のひとつは、江戸幕府が理路整然とした官僚機構を整えていたことにある。どんな英雄がすごかろうが、国を支配するにはシステムがなくてはならない。
実際、静岡藩へ移らなかった幕府の役人たちはそのまま新政府の役人としてスライドしている。
大事なのは政治的官僚ではなく、事務方官僚たちとその下の事務員たち。彼らが江戸幕府を運営していた真の立役者であり、明治維新最大の成功の理由であるが、これに言及する歴史家はほぼいない。
なにせ面白くない。本も売れないだろう。
各藩の統治機構もそのまま廃藩置県後も踏襲されている。
戦国期のような様相なら、どんな優れた英雄がいようが明治維新が成功しようが、乱世が続く。
そうならなかったのは、民度の問題ではなく、江戸幕府の生み出した統治機構のおかげだ。
証拠もある。
地方役人の日記などには明治維新のことはほとんど記載されていないという事実だ。
歴史家が言うように、日本を変えた大変革とは地方役人たちは少しも思っていなかった。些事に過ぎなかったのだ。
なぜなら彼らの多くはそのまま地方の新政府の役人にスライドしたし、しばらくの間、知事はそのまま藩主だった。
公方様が失脚した、というだけの話だった。
とはいえ、何も変わらない。
薩長土肥の田舎侍たちが既存の大名を江戸から追い出してその座についただけで、事態は何もかわらなかった。日記に書くほどのこともない。禄も支給されている。また、動乱も戦乱も江戸と京都の話であって、全然関係ない。
確かに首から上はすげ変わった。だが、下っ端たちは明治になっても変わらなかった。
彼ら実務官僚、実務役人なくして江戸時代の統治機構を踏襲することはできなかったからだ。