ロシア帝国はオスマン帝国最大の怨敵であり、19世紀におけるイギリス最大の仮想敵はロシア帝国であり、清の後半の最大の懸念はロシア帝国だった。20世紀初頭にアメリカの覇権が確立しそうになったとき、それに対抗したのがロシア(ソ連)だった。
ロシアは、オスマン帝国、大英帝国、大清帝国、アメリカ帝国と世界を支配した帝国の最大の敵と目されてきた。
むしろ、今のロシアは往年のロシアと比べ弱体化している。
とはいえ、No1になったことがないのがロシアのつらいところだ。
オスマン帝国の最盛期にこれに勝てる帝国(経済的文化的。軍事的にロシアはトルコに負けたことはない)はなかったし、これはイギリス(その最盛期、世界の土地の3分の1はイギリスのものだった)も清(乾隆帝の時代、世界の富の半分は中国にあった)も同じだ。
しかし、ロシアは最大の敵と目されつつ、常にNo2だった。冷戦時代もそうだ。
ロシアは軍事的だけではなく、クラシックやロシア文学という文化面でも一等国だったし、科学技術においても、航空機や宇宙開発ではアメリカと遜色ないばかりかリードしている場合もあった。
戦後の工業生産では、アメリカとほぼ互角で、世界の工業製品の3/4はアメリカかロシアで製造されていた。
ただ経済的にいつも劣っていた(戦争でいくらトルコに勝ってもトルコを排除できなかった理由だ)し、今もイマイチなのが、ロシアがNo1になれない理由なのだろう。
ロシアが経済的に豊かだったことはない。
農奴をこきつかって建てたのがロマノフ家の宮殿だ。
経済的にそれほど豊かではなかったはずなのに、クレムリンは、バッキンガム宮殿、紫禁城、トプカピ宮殿よりも明らかに金がかかっていそうである。
結果、農奴によってロシア帝国はほろんだ。
今もまた、農奴の子孫=ウクライナ人のせいで国家がやばい。