私たち現代人はヨーロッパ人、とくにイギリス・ドイツ・フランスの三者によって発明された概念に縛られ、苦しめられている。この中でも特に重大なのが、人種、民族という概念である。
この三者による概念は、同じ西ヨーロッパでもイタリアやスペイン、東欧ではほとんど発達せず、私たち非英独仏勢力と同じく、彼らに苦しみをもたらした。
近世以前に於いて、人種や民族というものはほとんど意識されなかった。
というのも、マリの王がメッカ巡礼した際、彼は当然黒人であったが、彼が黒人であることをどうこうと呼ばわる資料はほとんどない。
また、ヌビア人も黒人であるが、彼らがエジプト王になった際も、特に人種的な言及はない。
清がロシアと国境を接した際、清人の多くがロシア人(恐らくコサックだが)をモンゴル人の仲間として捉えてもいる。
日本でも戦国時代に、ポルトガル人の肌の色には何ら注目せず、紅毛人と呼んだ。
毛が赤いことが気になったのだ。信長も黒人の家来を持ったが、肌の色が黒いことをいぶかしみはしたが、別種の人間であるという考えはなかったようだ。
民族についても、清に於いて重要なのは皇帝に従っているか従っていないか、であった。
なので、誰もが対外的に清国人を名乗っていた。
これはオスマン帝国も同じで、臣民であるかどうかが重要だった。
臣従を誓ったり、同じ宗教を奉じると仲間であると認識された。このため、エチオピアのユダヤ人は、明らかにエチオピア人で肌が黒くちりちり頭だったが、中東のユダヤ人と同等と考えられた。
つまり、蛮族か文明人か、という区別はあったが、それは人種や民族に立脚していなかった。宗教や皇帝への帰依に立脚していた。
なので、別の言語をしゃべろうが、肌の色が違っていようが、同じ文化や宗教をもてば同族だった。
これがいまだに機能しているのがウイグルで、彼らは容姿で識別が困難だ。というのも、純粋アジア人のようなひとからペルシア人のようなひとまで幅広いからだ。しかし、同族だ。なぜなら、ウイグル文化を奉じ、イスラム教徒だからだ。
しかしながら、近代にヨーロッパ(英独仏)からか各地へ人種と民族という概念が持ち込まれた。
この概念は世界を不幸にした。
オスマン臣民としてひとつだった概念が、何百という民族単位細切れにされ、民族自決の名のもとに殺戮と紛争を巻き起こした。
ユーゴスラヴィア紛争はなぜオスマン帝国時代におきなかったのか? 簡単だ。民族概念がなかったからだ。
逆にインドは、宗教言語文化が本来なら細分化されていて、近世までの感覚なら何百という集団に分かれるはずだ。
実際、何百というマハラジャがいて、ムガル皇帝は単に彼らをまとめているにすぎなかった。
しかし、民族概念によって、インド人としてひとつに纏められてしまった。このせいで、イスラム教徒ヒンズー教の対立が激化してしまった。
ユーゴスラヴィアが分裂したとき、セルビア人だのクロアチア人だのと名乗るように各政府から民族の峻別が行われたが、これに戸惑う層も少なくなかった。
かられは言語的宗教的には違ってはいても、同じユーゴスラヴィア人として生きてきたためだったし、親がどっちも同じ民族とは言えないケースが多かったからだ。
それでも民族が確定されてしまった。
もっとひどいのは人種の概念である。
そもそも、白人とは英仏独人のことで、それ以外は「カラード」とか呼ばれているように、白人か、白人以外かで人種はまず峻別される。
白人(英仏独)の世界では、ピレネーを超えたスペイン人は白人ではなく、イタリア人も白人ではなかった。
アメリカでイタリアマフィアが多いのは、ドイツ人は白人扱いだったが、100年前のイタリア人は白人扱いではなかったということだ。だから真っ当な道で生きることができなかった。
これはメキシコ人を白人扱いせず、ヒスパニックと呼んでいるのと同じことで、かつてはスペイン人、イタリア人は白人に統計されなかった。
そもそも、人種という概念自体が、白人という概念なしに成立しない。白人とどう違うのか? が重要なのだ。
ゆえに、白人たちはアジア人とかアフリカ人とかアジア人という概念には興味がない。
ユーラシアに住む非白人は全部アジア人でいいし、アフリカ人が一番遺伝的な差があるけど、全部アフリカ人でいいし、何なら北アフリカのアラブ系も黒人扱い。
そのくせ、同じ白人なのにメキシコ人はヒスパニックでNot White。ワンドロップルールで、白人は合衆国から減る。
馬鹿な話である。一滴でも黒人の血が入れば白人ではないらしいんだから、そりゃあ白人は減るに決まっている。でも一滴でも白人の血が入っているのに、黒人は黒人らしいのだ。
白人というのは何か神聖なものらしい。まさに純血種。他はミックス。そういう世界観だ。