憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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インターネットが双方向通信だというのは幻想

 インターネットが双方向通信だというのは幻想だし、民主的というのも幻想だし、世界で平等というのもだし、オープンというのもまやかしだし、既存メディアと根本的に異なる、というのもはったりだ。まあ、全部だ。


 確かに黎明期、いや、パソコン通信の時代はそうだったかもしれない。


 が、今は違う


 結局、youtuberなんかがいい例だが、影響力を持った誰かが中心になって、情報を発信する。

 一見、すぐにコメントできるから双方向のように見えるが、配信者は検閲することも可能だし、このコメントは新聞への投書と本質的に差がなく、配信者と対等なわけではもちろんない。


 TVで影響力を持っていた馬鹿コメンテーターがyoutuberになっただけにすぎない。


 私はこれが想像できなかった。

 私はもっと、本当にインターネットの未来を信じていた。

 でも違ったのだ。

 個人ブログが減退し、芸能人ブログが幅を利かせるようになったとき、所詮、通信システム上は双方向であっても、情報は「一方向」であり、非対称の関係にしかならなかった。


 対等な関係性はフェイスブックみたいなクローズドなコミュニティに押し込まれた。オープンなインターネットは、企業と強い影響力を持つ個人や組織によって、結局は支配されたのだ。


 また、ネット上では英語、中国語、ドイツ語、日本語などが強く、情報量が明らかに異なる。まったく平等ではないし、そもそも通信インフラの制約を受ける。

 これは衛星アンテナさえあれば衛星テレビが同一のクオリティで見れるのとは異なり、国家規模のインターネットインフラの差が露骨に影響する。

 インターネットほど基幹インフラの影響を受けるものはなく、国家の経済力の大きく依存している。


 むしろ、事態は悪くなった。


 私は10年くらいまえからネットがすっかり嫌いだが、ネットが既存のメディアと何も変わらず、ネットを構成する人間も、現実と一緒になってしまったからだ。


 パソコン通信の時代はそもそも一定の収入(パソコンは高いし、通信費も高い)があり、一定の知能(設定、下調べが自分でできないといけない)が求められた。なのでリテラシーは高く、馬鹿ばかりの現実とは違う世界があった。


 ネット黎明期も同じようなものだった。


 2000年以降はネットの利用が拡大したが、それでもパンピーはケータイ電話で、ケータイ電話のインターネットとPCからのインターネットは分断されていた。が、2010年頃から素性が変わってくる。


 潮目が変わったのは、youtubeがニコ動を蹴散らし躍進してきたころだ。スマホの普及率も俄然増えた。スマホはPCと同じインターネットにつながる。


 個人サイトは減少し、クソみたいなアフィサイトが爆増した。面白い動画が消え、テキスト動画が跋扈した。
 ネットはつまらなくなった。
 最大公約数としてはいいのかもしれない。企業企画のものはまあまあ面白い。
 でも、面白い個人サイトは少なくなってしまった。