ビルゲイツはデジタル資産に否定的だそうだが、そうだろうな、と思う。
当時、OSは虚業だと言われたが、現在では完全な実業である。というか、当時もハードウェアだけではどうにもならんので、OSは虚業ではなかった。
GAFAMにしても、Googleは一応Youtubeなどのプラットフォーマーで虚業ともいいがたく、Appleはハードも売っていて実業、Amazonも小売店でありAWSもどっちも実業。Microsoftはいわずもがな実業である。
虚業なのはFacebookだけで、Facebookは10年後にはなくなっていても別に驚かない。代替えはいくらでもあるからだ。
ゆえにVRに強く投資しているのだと思われる。
デジタル資産というのは「虚」である。ビルゲイツは「虚」の事業をしたことはない。いやまあ、MSはテレポートの研究をしていたけども。
というのも、インターネットには中枢がないとか、ブロックチェーンは中央集権的ではないとか、そういうたわごとをビルゲイツは一蹴しているからこそ、否定的なのだ。
つまりね、デジタル資産ってのは結局ヴェンダーの匙加減でどうにでもなるのだ。
インターネットも物理的には中枢があって、DNSサーバーをいじくればどうにでもなるし、仮想通貨にしても、結局換金所という銀行と同様の存在が必要なのだ。なにもフリーではない。
ゲイツ氏はそれこそ「ヴェンダーの匙加減」の中枢にいたのだ。
また、現在の通貨と異なり、仮想通貨は発行の自由度が恐ろしく低いし、アメリカの軍事力という担保がある。かつては金が担保だった。
ゲイツ氏はテッククランチ主催の会議に参加し、「サルの高価なデジタル画像が世界を大いに向上させるのは明らかだ」と皮肉った。
そう、デジタル画像は世界を大いに向上「させない」。ゲイツ氏の皮肉は的を射すぎている。さすがだ。
NFTは単純に投機目的以外での使い道がない。
ブロックチェーン技術自体は、エストニアのような使い方もできるが、ちゃんと理解していない奴が多く、富士フイルムが在庫管理にブロックチェーンを使うという意味不明な政策を始めた。馬鹿だと思った。
普通にデータサーバーでいいだろうに・・・。トランザクションを管理するほうが楽だと思うよ。
ブロックチェーンは無駄に計算量増やすから。
まあ、NFTが無価値なのは、NFTと紐付けされたデジタル画像に対して「価値」を感じているやつがいないってことだ。
そういうのは「価値」がない、というのだ。
猿の画像自体は誰も欲しくはない。
原理的に、うんこの画像でもいいからだ。うんこと兌換可能という時点で虚妄だ。考えてみて欲しい。現実で、バナナとうんこを交換するか??
しかし、「金儲け」のために欲しい。これでは、金儲けできなくった瞬間、価値はゼロになるので、「潜在的な価値はゼロ」と見なしていい。
一方、日本のバブル期に、投機目的で世界中の絵画の値段があがったが、バブル崩壊後も、ゼロにはならない。これは絵画それ自体を欲しい人がいて、「潜在的に価値がある」からだ。
この価値がある/ない、は「現在の」と「潜在的な」というのと二つの意味がある。
たとえば、Windowsを誰も使わなくなっても、Windowsのバイナリー自体は無価値にならない。
これは書籍の価値がゼロにならないのと同じだ。現在は紙くずのように扱われるベストセラー本も、100年後にはそこそこ価値がでてくる。なぜなら、100年前の風俗を知ることができる資料的価値が生まれるのだ。
同様の理由でWindowsのバイナリーは無価値にはならない。
つまり、猿の画像自体は無価値だが、NFTに関する資料、ログには一定の価値が見込める。これには潜在的価値がある。しかし、投機目的にNFTを使っている連中は、こちらに価値を見出さないだろう。
ゴールドラッシュで一番儲かったのはリーバイスだと言われている。
このNFT界隈でも、一番儲かっているのは誰だろうね???
あと、勘違いしがちなのは、国家の権力というのは思った以上に強大だ、ということ。
ウィキリークスなんかもまたたくまにつぶされたのは、まあ、すべての国家が協調してつぶすよね? って話だし、「すべての国家に都合が悪いもの」はまず、流行らないよ。だから仮想通貨が流行ることは「絶対に」ない。
なぜなら、仮想通貨がどんなに国境を超えるといおうが、すべての国家が協調して法整備すればおしまいだからね。地球上じゃあどうにもできない。月か火星にでもサーバー置くしかないね。
国家の強大さというのは、それが通信インフラもないような古代からそうだった。
たとえば、日本。
前方後円墳というのは日本中で見つかるが、もともとは畿内の墓制だった。これが畿内権力とともに日本中にひろがる。中国でも、龍を象った出土品がある時期から全土で見つかるようになり、殷周といった中原都市国家の強大な影響をうかがわせる。
ラテン語は元々イタリアの小さな都市でしか喋られていない言葉だったが、ローマの拡大とともに広まり、イベリアやフランス、ルーマニアといったほかの民族の言語を書き換えてしまった。これはラテン語が喋れないとローマ市民と見なされず、就労や商売に不利だったからである。
古代でさえそうだ。
くだって江戸時代、鶴を農民が食ったというので代官所へ報告した話がある。
んなもん、せんでもいいだろ。どうせわからんと思うが、法律違反なので、一応報告しないといけない、というわけだ。現代と違い、ネットも写真もないし、証拠が残るわけないのに、だ。
国家の羈束の例はほかにもいくらでもある。
明治維新で、洋装化を進めて、ものの数年で都市部は洋装化されるし、軍隊式教練によって、日本人は歩行方法すら変わってしまう。
現在の歩き方は西洋歩きで、和装には向かない。なぜすぐに浴衣がはだけるのかというと、本来の歩き方をしていないから。
また、一番いい例は戦争だ。国家が殺せと命じれば、この世で一番忌まれる行為であるべき殺人を実行してしまうのだ。
だから、仮想通貨が絶対一般化しないと断言できる一つの理由は、「仮想通貨に対して国家が利益を得る箇所」がないことだ。せいぜい、雑所得としての課税くらいだ。
また、マイニングの性質上、仮想通貨は原理的に、アーリーアダプターが得をするようになっている。
かたや、現実の通貨はそういうわけではなく、特に先行者が得をするとは限らないばかりか、利率とインフレ率の兼ね合いでは、アーリーアダプターが損をする可能性もある。
仮想通貨はそういった意味では、ポンジスキームであるといえる。ねずみ講も、確かに先行者はペイするばかりか、ちゃんと儲かるのだ。
仮想通貨は原理的にポンジスキームであると断言できる。