従軍慰安婦問題は、あったいえばあったし、なかったといえばなかった、と思う。
これは日本社会特有の問題が絡む。
たとえばロッキード事件、ここでは田中角栄に権限があるかどうかが争点となった。確かに政府のシステム上も法令上も、権限はないのである。しかし、それは紙の上での話だ。
「事実上」はどうなっているのか。
裁判ではこの「事実上」が認められた。つまり、法令上も何も問題はないが、総理大臣の言葉に大臣たちが逆らえるわけがないという話なのだ。
外国なら、こうは裁判がこじれなかっただろう。
んなもん、国の最高権力者なんだから、紙の上では権限がなくても、あるに等しいに決まっているからだ。
だから、慰安所というのが公設にはなかったかもしれない。そういう布告もしなかったかもしれない。
しかし、事実上、女衒が朝鮮人を拉致するのを軍は容認したりしていた可能性は高いし、兵士の性処理のために便宜を図っていた可能性も高い。女衒業者側も忖度をしていただろうし、現地の将校たちも忖度していただろう。
こうなってくると、事実上「従軍」と見なしうる。
忖度の結果、「事実上」公設に等しい状態になっていただろうことは、日本人特有の「紙に書いていないことが真実」「プロジェクトは議事録に残る会議ではなく飲み会で決まる」「真の権力者はお局」などなど、そういった習性から考えて、妥当な想像だと私は思う。
そう、日本社会では文字化されたものではまるで真実がわからないことがあまりにも多いのだ。いまだにこれは続いていて、契約社会としていまだに未熟なままである。
また、場合によってはその文書さえも残っていないことが多く、終戦が決まった途端、多くの公文書が焼かれた。当時、多くの役場で白煙があがっていたそうである。祖父母からきいた。
このため、現在も当時の資料の写しがポーランドとかとんでもないところから見つかったりする。なので真実の究明は更に難しい。ただでさえ表に記録もされないのに、記録も残っていないのだ。
外国ではあまりこういうことはなく、内戦でもないのに文書が失われることはほとんどない。
あるとすれば世界一似ている民族朝鮮人くらいだろう。
証拠に、スペインはいまだに植民地時代の悪辣な記録を保持しているし、アメリカ公文書館もフーバーにとって都合の悪いはずのケネディ暗殺関連文書をシュレッダーしたりもしない。
つまり日本社会特有のこととは、現政府もそうであるように、どう考えても事実上決定権を持つ奴が権限がないからという理由で無罪になったり、暗に強要しているにもかかわらず業者側の忖度で済ましてしまう社会である。当時もそうだっただろうことは想像に難くない。
しかし、これは日本でしか通じない論法である。
たとえば、イギリスでは憲法そのものが不文である。これまでの事実が法になるからだ。なので、憲法解釈で逃げ切るなんてことはできない。え? 実際そうだったよね? で終わりだ。
だから、朝鮮側から見れば、明らかに業者と癒着していて、便宜を図られている女衒は公設の慰安所に見えた。しかし、日本からすればそんなものは法令にないから存在しない、である。
そう、日本には軍隊はないし、パチンコはギャンブルじゃない。
だが、日本以外の国の人は、間違いなく自衛隊は軍隊というだろうし、パチンコはギャンブルというだろう。言い逃れのための文書や制度などどうでもよく、事実が大事なのだ。
ゆえに、日本社会的見方では国家が関与した慰安婦は存在しない。が、世界的には、事実上、兵士を相手にした慰安婦がおり、軍の威を借りて商売をしていた以上、それは「事実上の従軍慰安婦」なのだ。
日本社会では確かにないのだろう。パチンコは換金できない。そういうことになっている。それと同じ。でも、三点方式だからOKなんて理屈は海外ではまず通じない。事実上、換金されているのだから。
日本人の性根が100年も経っていないのに変わるわけもなく、当時もそうだった。
一方、アメリカは公設の慰安所などつくれないので、占領下では日本政府につくらせた。
言い訳する政治家たちもそうだが、日本社会ではとにかく「~ではない」「~という意味ではない」と相手の言うことを否定し続ければそれが通ってしまう。が、定義だの、法令だの、言葉の綾など関係なく、世界では「行動」が重視される。
権限がなかろうが、利害関係がある人間と怪しい会食をすれば、なんといおうが、それは叩かれるし、否定しても意味がない。だからこそ、海外では白黒つけるために「戦い」に発展する。