いじめをするような人間は、そもそもいじめが「楽しい」のだ。
だから彼らが反省するはずもなく、改心もしない。どうして楽しいことがやめられるだろうか。
チョコがおいしくて、ダイエットできないのと同じだ。
彼らはいじめが楽しいので、やめない。
そもそも、他人を殴ったり、ののしったりするのは普通の人間にとっては苦痛だ。相手に非があっても、苦痛だ。だから円滑に人間関係を築こうと我慢するのだ。
彼氏を取られてむかついたからいじめた、というケースもあるだろう。しかし、こういうのは長続きしない。むかつきはいずれ忘れるし、新しい彼氏もできたらどうでもよくなる。
だが、いじめが続く場合がある。
これは加害者が楽しんでいるからに他ならない。
だから、被害者の気持ちを語るのは無意味だし、説得もできない。
方法は一つしかない。厳罰だ。
いくらチョコがおいしくても、糖尿病になったら自由には食えない。食ったら悪化するから。
いじめも同じ。楽しくても、ひどい罰を受けるなら、やめざるを得ない。
だから、この点に関して世間の言説は殆ど間違っている。被害者にも非があるとかないとかはどうでもいいことだ。加害者は普通の人間だ、というのも違う。彼らは他人に損害を与えること、他人が苦しむのを見るのを楽しいと感じる異常者だ。
いじめ肯定派も否定派も、彼らを同じ人間だと想定している。ここが違う。彼らは異常者なのだ。