いじめというのは、した奴が悪い。あたりまえだ。
たとえば、道に財布が落ちている。落とした奴は確かに不注意だ。
しかし、普通の人間なら拾って警察にもっていくか、見なかったことにするかだ。
ここでネコババしたり、盗んで中身だけ抜いて捨てるやつはもともとそういう人格だということだ。
性根が腐っているのだ。
いじめも同じ。
確かにむかつくやつはいるかもしれないが、大多数の人間はいじめなどしない。
するやつは、人格が悪いのだ。
そいつが本当にいじめられて仕方がない人間なのならば、すべての人間がいじめをするはずであろう。しかしそうではない。
だから、いじめられるほうにも原因が~というのはまったく通らない。
たとえそうであったとしても、普通の人間はしないのだから、するやつに原因があるわけだ。
もし、学校全員の人間がいじめているのなら、される側が悪いという理屈も通るだろう。
しかし、実際はそうじゃない。いじめていない人間のほうが多数派なのだ。クラス40人いれば、せいぜい5人くらいだ。
ここで、見てみぬふりをしているのも同じというが、そうだろうか?
先に挙げたように、財布を盗むやつとみなかったことにするやつは同じなのだろうか? 違うだろう。
いじめも同じだ。見てみぬふりはいじめていないわけで、同じのはずがない。
にもかかわらず、連帯責任が大好きなこの国では、善良ないい子たちに「見て見ぬるふりも同罪」なんていうとんでもない嘘を教えている。
これで得するのは、いじめるようなクズだけである。なぜ実際に実力行使していない善良な子たちが、いじめの罪を負う必要があるのか??
いじめをするようなやつは最初から人格が悪く、腐っているので、彼らが更生することはないし、反省することもない。いじめた側も~なんて道理は通らない。
普通、だれかに危害を加えるのは苦痛を伴う。
わざわざ、むかつくという理由で、そんなことをするだろうか?
他人を殴るのは、かなり精神をすり減らす。
だから、普通の人格をもった人間は、すぐに殴ったり、罵倒したり、無視ししたりしないのだ。
つまり、いじめる人間というのは、他者に危害を加えてもなんとも思わない人間ということになる。
場合によっては、他人を殴ったり罵ったりすることを楽しいとすら感じるのだ。だから、いじめるのだ。
更生するだろうか??
彼らがいじめをするのは、いじめそのものにメリットがあるからだ。
そのメリットとは何であろうか。
金銭をかつあげしているのかもしれない。
殴ってストレス発散しているのかもしれない。
社会の被害者などではない。もとは善良な子というわけでもない。いじめる因子を持って生まれた人間たちなのだ。
そう、彼らは異常者なのだ。
精神病者かもしれない。
とにかく、まともではない。まともな人格を持った人間は、どんな環境でもいじめなど最初からしない。
まともではない人間に、いじめはよくないとか、他人の気持ちがうんぬんといったところで通じない。
彼らのような異常者をまっとうにする方法は一つだ。
犬のしつけと同じで、悪いことをすれば罰を与えるのだ。バカな犬は人間の気持ちがわからない。それと同じで、人の気持ちが割らない人間に、説得は不可能だ。殴る蹴るの指導は、いじめを行うようなクズにこそ活用されるべきなのだ。
私は体罰を肯定している。
人間の心や人間の言葉の届かないような動物人間たちは、殴って言うことを聞かせる。これは正しい道だ。