黒人の知能が低いというのはどうやら正しくないようだ。
正確には、アメリカ黒人の知能が低いというのが正しいようだ。
これは圧倒的低さで、アフリカ黒人よりもずっと低い。
東アジア人(日韓中蒙)のIQが異様に高いのは例外事項だと思うが、ヨーロッパでも北欧系やドイツ系よりも、ラテン系の方が高く、イタリア人はユダヤ人よりも高い。
唯一東アジア人に匹敵する。
中東でもペルシア人はアラブ人に対して高い数値が出ている。
このあたりは文明を起こした地域が比較的高い値だという事実だ(日韓は例外)。
ローマ人(イタリア人)、ペルシア人(イラン人)、東アジア人(漢民族)となる。逆に言えば、ユダヤ人は文明の担い手ではない。
そう考えると、マリやジンバブエの黒人たちが低い数値なはずもなく、ヨーロッパ人よりもやや低い程度に収まっている。
問題はアメリカ黒人だ。
平均IQが80という日本では知的障害になってもおかしくないレベルが平均値なのだ。
おそらく半数のアメリカ黒人は掛け算もできないし、文章をまともに読むこともできないし、善悪の判断もきちんとくだせない。
そらまともな治安になるはずがない。
しかも体格はいいのだから、いわゆるパワー系池沼なわけで、白人たちが近づきたくないと思うのは必然だと思う。
ちまたにパワー系池沼があふれている世界なんて、私はイヤだ。
だから案外高い地位にいる黒人は奴隷の子孫ではないのかもしれない。
オバマがそうだったが、オバマは奴隷の子孫ではなく、アフリカ移民の子だ。
また、一部の賢い黒人たちは池沼の多いアメリカ黒人コミュニティから脱したくて、白人側に与するため、分断を産んでいるのだと思う。
そうなると、ますます黒人同士で血が濃縮される。
26世紀少年みたいな話だ。
日本でも馬鹿ほど子だくさんなのと同じことだ。
なぜこうなったのか。
単純に私は奴隷貿易のせいだと思っている。
ロシアの実験ではたった数世代でキツネの改良に成功した。
奴隷制は同じ機能を担ったし、アメリカでは事実上、WWIIのあとも奴隷制は継続していたようなもの(日本でも北海道土人法や優生保護法がいつ廃止されたのか知れば、そんなもんだと気づく)だ。
リンカーンは実質何もしていないに等しい。
300年以上にわたる奴隷制は、アメリカ黒人を改良してしまった。
まず劣悪な奴隷船を生き延びるのは、体力があり、壮健で、かつ、繊細ではなく深くものを考えないメンタルの人間だった。
過酷な農園でも事情は同じだ。
そうして、豊かな精神や機微を持つ黒人は淘汰された。体格や体力のないものも淘汰された。
また白人農園主が黒人を犯すのは日常だったが、いってしまえば、当時の感覚では獣姦である。
およそまともではない。そういうまともではない血が黒人女性に注がれていった。
一方、日々の慰みとしての音楽が発達した関係で、絵画や彫塑の才能はアメリカ黒人から失われた(この分野においてアメリカ黒人で著名な人間は殆どいない)反面、音楽の才能は蓄積されていった。
もともとあった才能が濃縮された。ダンスあたりもそうだろう。
音楽やダンスは皆で慰めあうのにとてもいいものだ。道具は要らない。全てのものは楽器になりえる(スクラップを楽器にするバンドもある)。
300年といえば、15歳で子供を産むとして、20世代だ。改造には十分すぎる時間だ。
ラテンアメリカの黒人の知能がアメリカ黒人ほど低くないのは、そもそも人種隔離が不徹底で混血が進んでいるため、明確な黒人があまりいないこととアメリカのように厳格な奴隷制が維持されなかったせいだろう。
ラテンアメリカでは黒人と白人の間の知能さはあまりない。というか、ラテンアメリカの白人は欧州系白人と比べて、そもそも低い。
インド人のIQが思ったほど高くないのも、同様の理由だろう。
イギリス人がカースト制度を利用したせいだ。
カーストの前では努力も才能も無意味だ。優秀な人間がたくさん子供を残せるという本来の動物法則がカーストのまえに崩壊していたのだろう。
その証拠に、カーストは元来ヒンズー教徒のもので、非ヒンズー系であるシク教徒は高IQで知られている。
イギリスのインド支配も300年以上続いた。
これまでも、数百年にわたる支配や奴隷制というのは普通にあった。ローマの奴隷制は有名だろう。
しかし、問題は、イギリスのインド支配もアメリカの奴隷貿易も、近代の話ということだ。
ローマの時代は奴隷の支配も国家の支配も、今の水準と比べて大したことがなかった。
移動手段はガレー船か馬で、ガレー船は大戦争でもないと使われないし、馬は高級品だったから、基本徒歩だ。情報の伝達は遅く、支配は緩かった。
記録手段も羊皮紙、パピルスにインクしか手段がない。
だが、近代以降は違う。鉄道の普及で支配者は迅速に国家の隅々まで軍隊を送れたし、情報を掌握できた。19世紀には電気による通信も生まれた。記録は印刷になっており、大量にデータが管理されるようになった。
ローマ人の奴隷は隣町にでも逃げればもう自由に等しかったかもしれないが、アメリカの黒人奴隷はどの町へ逃げても追跡される危険があった。
ローマ人奴隷はしょせん相手も徒歩だし、自分を証明する写真があるわけでもない。首実検するしかない。
しかし、黒人奴隷たちは写真で管理されていたかもしれず、印刷された奴隷の帳簿が全国に出回って、逃亡奴隷を鉄道や自動車で探す追跡者がいたかもしれない。
実際、スペインには膨大な奴隷貿易の記録が残っているが、ローマ人が詳細な記録をつけたような形跡はあまり見られない。
近代以前には、スパルタのような狂った世界を除けば、どの世界でも奴隷は多くなかった。
管理が大変だったからだ。
反逆でもされたらひとたまりもない。しかし、アメリカでは人口の2~3割が黒人奴隷であった。南部では半数近かった。インドでは数十万のイギリス人が数億人を支配した。
これが可能になったのも、銃器の発達だ。
スパルタのように自身を鍛えて奴隷を支配する必要はなく、銃器を持つという優位性のもと、可憐な女主人もたくさんの奴隷を使役できた。
だから、黒人奴隷というのは、人類史まれにみる「人種改造」だった。
意図的ではなかったにせよ。