私の娘は5歳だが、「黒い髪はいやだ」という。
海外のドキュメンタリーを見ていた時、ちょうど同じ年くらいの白人(コーカソイドではなく欧米人の意)の子がでてきて、その子みたいな「白い髪」になりたい、というのだ。
白い髪というと白髪みたいだが、娘が言っているのは「金髪」のことだ。
私は健康的な子を推しているので、日ごろから日焼けしていいねといっても、白い肌がいいというのだ。
白い肌と金髪がいいという。
これは「白いものにあこがれる先天性」としか思えない。
白人が世界を支配できた最大の理由は「色が白いから」で間違いないと思う。
黒人が同じ技術と政治組織を持っていても、世界は支配できなかったと思う。日本人も明治維新を起こして、脱亜して「黒人になろう」とは絶対に思わなかったと思うし、「アフリカに学ぼう」とか思いもしなかったはずだ。
これは現在のアフリカのイメージとは一切関係ない。もっと根深いものだ。
ここで重要なのは、容姿ではない。
私は白人が美しいとは思わない。
ゲルマン系なんてむしろエラが張っていて、ブスではないか。エマ・ワトスンはイギリスの奇跡だぞ。何度も言うけど。
容姿ではなく、肌の色が重要だ。
例証はいくらでもある。
アステカ人は白い肌のスペイン人を神の使いと考えた。
一部の台湾原住民は自分たちより色白の日本人を崇拝した。
インドでは古代から一貫して美人の条件は肌の白さだった。
ローマ人はゲルマン人を蛮族とののしりながら、ゲルマン人をとらえ、髪を剥いで金髪のかつらをつくっていた。
アフリカでは肌の色を黒いとはいわず、チョコレート色、茶色、赤色などと表現する。
ペルシアでは肌の白いほうがよいとされた。
鎌倉時代から日本では美男子の条件は色白だった。
なぜそうなるのかといえば、人は明るいものを見ると瞳孔が開く。
また、夜を想起させる黒よりも、昼を想起させる白、特に白は太陽の色だ。
昼行性の人類にとって、白は黒よりもずっと尊かったのだ。同じサルでもアイアイは黒の方が美しいというかもしれない。