脱臭された主人公たち

 ゼロ魔を見直して、やっぱ面白いよなこれと思う。

 というのも、サイトはまあわりと当時は等身大の造形だったが、きちんと強くなる努力をするし、ルイズになにをされてもわりとへこたれないばかりか仕返しまでやるし、ちゃんとルイズに愛してると伝える。ちゃんとやる主人公だ。最近あんまり見ない奴だ。
 ルイズもルイズで高飛車だが、繊細な面もあるし、根はとても真面目だ。陰で努力するタイプである。公爵家の娘とはいえ、三女なので親や姉からもあまり期待されてはいないし、魔法はカラキシだからコンプレックスもひどい。
 ギーシュやモンモランシーと違い、最初から平民への偏見も態度の割に低かったような気もする。

 わりとラノベ界ベストカップルのひとつ(もうひとつ浮かぶのはホロとロレンス)だと思うが、私にとって、この「釣り合いの取れた男女」は重要である。
 最近、「可愛いだけじゃない式守さん」という漫画を読んだ。式守さんは大変好みなのだが、主人公が全然駄目というか、魅力がないというか、式守さんと「釣り合っていない」のだ。式守さんがただのダメンズ好きにしか見えず、折角の彼女の魅力が引きずられて下がってしまう。

 そう、ヒロインの魅力はヒーローの魅力が低いと下がってしまうのだ。なんでこんな男に惚れる? と思ってしまうから。
 逆に、ヒーローの方も、まあ、些細なことで惚れられてもいいが、ちゃんと身の丈に合うように努力してもらわないと、「何もしないヘタレ」「現状維持のチキン」にしか見えない。
 そう、ここ5,6年特に酷い気がする。最近、「勉強」を売りにする主人公のラブコメがいくつかあった(ぼく勉、五等分、カッコウなど)が、なんとか魅力をひねり出そうとしているのだろう。スポコンや熱血がほぼ瀕死の今、勉強ができるが魅力足りえるか? どうだろうねえ……。
 自己同一化の際に、足が速いよりは同一視しやすのかもしれない。足の速さは体育祭で浮き彫りになるが、成績順は張り出されないから(現実では)。まあ、体育祭で足の速さを公開するなら、成績も公開してもいいと個人的には思うが。

 そんな中、連載開始が2013年と古い(バズったのはここ4,5年だが、もう10年前だ)せいか、高木さんはお似合いカップルである。西方は高木さんに対して勝とうと日々努力しているし、いくら負けてもめげないメンタル、ちゃんと惚れた女(無自覚)には男も見せる。高木さんも高木さんでこれは一種のツンデレの変種みたいなもんだ。
 どうにも、私にはここ数年のヒロインの魅力で釣るが、相方のせいで魅力が半減する作品が多すぎる。〇〇さん系の作品はだいたいそうだ。西方みたいな魅力のある主役はでてこず、ヒロインが可愛くてもヒーローが「不快感を催す」。レンカノでは主人公アンチが多いらしい。
 男を無毒化しすぎているんじゃないか? 諸星あたるくらいスケベでもいいんじゃないか? ラムちゃんが暴力ヒロインのわりに視聴者に嫌悪感をいだかせないのは、あたるが自業自得だからだろう。
 このころはラッキースケベという言葉がないばかりか、スケベは降ってくるものではなく、もってくるものであった。

 主役の男の弱毒化を追ってみると面白い。

 機動戦士ガンダムでは、機械いじりが好きな内向的少年としてアムロは描かれたが、まあ、現代の視点で見ればドモンと大差ない。ただ当時はスポコン主人公のような主役ばかりのロボットアニメ界隈では確かに内気な少年だった。相対的にな!
 で、エヴァのシンジも当時の感覚では「ヘタレ」だったと思うが、今の感覚では「やるときはやるやつ」だ。アムロ以上に内向的(声優も女性だ)で、優男だが、傷ついた綾波を見て、戦うことをちゃんと決意するくらいには男らしい
 有名な逃げちゃだめだも当時は内向的な後ろ向き発言にきこえたが、今ではむしろ、逃げない姿勢を見せる男らしさにも思える。そう、ちゃんとTVシリーズ(個人的に新劇は破以外イマイチというか駄作、やはりTVシリーズがよいと思う。もちろん最終回以外な!! 庵野はちゃんとTVシリーズの最終話をつくってくれ)を見直してみるといい。シンジの綾波に対する態度は、綾波が彼に惚れてしまっても致し方ないと思わせるものだ。
 もし、至らないと思うなら、シンジが「中学生」だということを念頭に入れていないのではないか?

 アムロもシンジも今どきのアニメのヘタレ主人公どもと比べれば全然「やる男」なのだ。アムロは微妙だが、シンジは気遣いもできる。
 アスカともめるのは、どう考えてもアスカにがある。映画の解釈がどうかは知らないが、TV版の限りではアスカはシンジに惹かれているように見えるし、それには納得できる。シンジは女性を惚れさせるにたる男らしさを持っているように見える
 また最近耳にするのが、「主人公と自分を同一視する読者」である。もちろん、そんなのは昔からいた。しかし、旧来のオタクたちは世界観や設定にも関心を示した。さきにあげたガンダムエヴァを見てもそうだ。

 初代ガンダムはそれまでのスーパーロボット的な要素を多く含み、私たちが今知っている設定の多くが登場しない。むしろ、ファンブックによる設定の逆輸入が多くみられる。
 今、私たちが知っている宇宙世紀の設定の多くは、公式同人ともいえる0083(だからあんまり好きじゃない。UCも同じ)にて初登場もしくは公式化する。このとき、ファンの解釈、設定の多くが、アニメ化したものは公式化するの法則のもと、多くが公式設定になった。
 たとえば、初代ガンダムでは多くの設定がわりと曖昧である。コローに落としの被害はあまり明確ではなく、MSの優位性にしても多くは語られない。

 しかしながら、それまでにないリアル寄りの設定が多くのオタクを惹きつけた。これはガンダムの巨大な世界を生み出していく。
 今も雨後の筍のように生まれるガンダム作品は、シャアのようなキャラ人気(当時からあった)もそうだが、設定や世界観がしっかりしているために派生していっている面もある。ラグランジェポイントの設定など、SF考証にもわりと力を入れた。
 まあ、元ネタは宇宙の戦士とスターウォーズなのは火を見るより明らかであるが。

 続いてエヴァであるが、ガンダムよりもいくらか格落ちする。
 オリジナリティのある世界観ではなく、生命の樹やロンギヌスだの、西洋神秘主義の寄せ集めみたいなところがある。それでも世界観は存分に今のアニメに比べればずっと重厚であるといえる。
 そして、当時は「考察」が流行った。今、考察されるアニメがあるのだろうか?? もちろん、綾波は新タイプのヒロインとして一世を風靡した(このタイプは令和では見かけなくなったが)のは事実だが、それだけではなかった。

 それにくらべると、今のアニメはひどい。
 VRMMOだの、勇者と魔王だの、異世界だの、最初からドラクエ的世界観ですというオリジナリティもなければ、衒学的な寄せ集め(エヴァ)ですらない。
 作中で「ゲームのようだ」と言われたり、アイテムウインドウだのスキルだの、世界観に魅力がない。独自性もない。だからこそ、登場人物への比重が強まる
 私はいつもアニメ界の分水嶺は「けいおん(2009年放送)だったと思っている(きららアニメ。これはまたの機会に)。ハルヒでは作者の谷川がSF好きなせいか、わりとSFでSF者からのウケもよかった。あれをキャラモノと思っているのは勘違いだ。

 エヴァでは確かに、綾波はアニメ史に残る大ヒロインだが、それと同時に、ゼーレの雰囲気やエヴァンゲリオンのデザイン、漢字を多用するキャプション、止め絵で見せるアニメーション技法などがあった。
 綾波といえば、ルリが浮かぶが、ナデシコだって、設定は割と真面目だったし、ストーリーラインはしっかり作り込まれたSFだった(どう考えても完結してはいないが)。
 登場人物への比重が高まるからこそ、「登場人物は気に入らないがメカニックが好き」みたいなものが成立しないし、最近のアニメ化は「作画が忠実」が求められ、efのような技法、エヴァのような技法をやれば、間違いなく叩かれる。どうでもよくない? キャラの目のハイライトとか。
 私が最近の漫画やアニメに違和感があるのは、そういうことだ。登場人物偏重のわりに、肝心の登場人物ですら脱臭され魅力がない

 単に合わないだけ?

 そうだろうか?
 古い漫画やアニメは全然面白いと思う。例えば、鉄人28号の白黒アニメ。あれはとてもいいものだ。
 アニメーション技法に対する挑戦が見られるし、なにせ、OPがいい。「いいもわるいもリモコン次第」の歌詞が最高にいい。黄金バットも面白い。世代の話ではないと思う。漫画ではサリーちゃんも面白かった(アニメは女児向けに特化していてイマイチ)。

 もちろん、私が1995年~2010年頃のアニメを一番評価するのは世代だからだが、それだけとは思えない。