アニメが原作を上回ることはほぼないが、きらら系は例外であり、けいおんの時代から原作をアニメが凌駕してきた。あいうら、らき☆すた(きららではないが)、ひだまり、あげればきりがないほどだ。
ぼっちざろっくもそうだ。アニメが格段によくできている。
その中でもよくやった、という点の一つが、ぼっちちゃんの貧乳化である。
これによって、ぼっちちゃんの「ぼっち」がより明確さを増した。
というのも、ぼっちちゃんは美人(おそらく結束バンドで一番美人)なのだが、性格とコミュニケーション能力がアレなので、まあ、男は寄りつかない。
だが、原作のように巨乳だったら?
そりゃ下半身に素直な「どしたん?」男がいっぱいやってきて、承認欲求の強い彼女は「男とセックスしまくることで自己欲求を満たす」という女らしい手段が使えてしまうのだ!
そうじゃない。
ぼっちちゃんはギター以外で戦えないコミュ障でなくてはあの物語は破綻するのだ。
ギターしかないぼっちちゃんが周りに認められて成長していく物語だ。
これがデカパイであってみろ。
どしたん男とセックスで全部解決してしまうし、コミュ障を直すインセンティヴも生まれない。
また、共学なのに美人でコミュ障の巨乳に男が寄ってこないのがおかしい。不自然だ。
たいていの男はセックスできればいいので、コミュ障の巨乳はむしろメリットしかない。やり捨てにしても心が痛まないし。
だから、貧乳にして、性的な要素がない(ガリだし)状態にしたことで、ぼっちちゃんの残念度は揺るぎないものとなった。