サピアフォーフ仮説は間違っている。
言語はその人間の思考には影響を与えない。与えるのは言語ではなく、知識と経験にすぎず、それは個人の域内にとどまっている限り、言語化する必要がない。
言語によって思考が制限されるのは社会だ。
他社とのコミュニケーションで成立する社会は、言語による制限を受ける。
「象」という言葉を知らなくても、個人では象を記憶できる。しかし、社会的に「象」を記憶することはできない。
つまり、かつて日本には西洋思想が入ってくるまで、近代概念の「単語」がなかった。個人的に造語してるやつはいたかもしれず、「思想」はいくらでもあったはずだが、それを社会に流布できる「共通の単語」がなかった。
だからそれは、社会的に存在しないことと同じだった。
日本人がかなり早く近代化できたのは、「訳語」の話ではなく、思想や概念としては存在したが、「名前がなかった」からだ。