暇空氏はネトウヨ的な言動があるので、左寄りの私とは元来相いれないと思う。
しかしながら、Colabo側は左翼の面汚しなのでちゃんと勝ってほしいと思う。
なぜって、不正がないなら会計報告は全文見せればいいだけだ。
見せない時点でもう黒と自供しているに等しい。
数字は個人を特定できない。何の女性差別にも当たらないし、ふざけた会計報告では、一日本国民として納得できない。こちとら納税者だ。
税金の使途をちゃんと教えろ、という話だ。
そういった当然の権利を行使した彼をファシスト呼ばわりしている弁護士たちがいることが、正直怖い。
むかしから法曹界はあたまのネジの飛んだ人だらけだと思ってはいたが、その通りである。
弁護団は氏の裁判をリーガルハラスメント呼ばわりしているが、誰がどう見ても1対多なので、ハラスメントどころか酷いいじめを受けているのは暇空氏の側にしか見えない。
いい大人が、自分たちの税金詐取を守るために一個人をいじめる。納得できるわけがない。
もはや思想とかそういう話じゃない。
モラルの話だ。
だから、氏がネトウヨであることはもはやどうでもいい。
フェミとかアンチフェミとか裁判ですらもどうでもいい。
金と権力と法とメディアを使って、一個人をいじめぬいていることへの恐怖。恐怖しかない。
自分たちは氏をスラップ訴訟でつぶそうとしたくせに、一市民の氏が開示請求しただけでそれを極悪非道の行いのようにいい、懲戒請求の弁明書では名誉棄損に等しい文言を書き連ねる。
異常だ。
氏もいってるが、こうやっていままで声を上げた人間をいじめぬいて、場合によっては自殺さえさせた可能性もあると思えるほどだ。
この異常な行いは是正されねばならない。
通常、公金がわけのわからん団体へ流れることはよくあることだ。
田舎の市町村でも歩けば目撃するようなレベルだ。
しかし、それが露見したからと言って、訴えた人間をいじめにじめ抜くということはない。シレっとなかったことになるというのが常道だ。
ゆえに、今回の件は異常だ。
のり弁開示はいつものことだ。
まあいい。
しかし、声を上げた人間を妄想だの精神病だのとツイッターやNoteを使い、多くの人間を動員し、法律を使って恫喝する。これは普通ではない。
若年者で問題のネットいじめである。でも、いい年したおじさんおばさんがやっているんだぜ???
少なくとも暇空氏の発言は推論の域を出ないが、根拠が示されているので妄想ではない。これを一方的に妄想と断じ、また氏の疑問に対してColabo側はただ「否定するだけ」で「反論」になっていない。
否定するだけなら2歳児でもできる。
根拠を示すのが大人だろう。
この件では「大人がいない」。法的手続きと実際に存在する証拠を根拠に推論しているだけ、暇空氏は大人に見える。
気に入らない人間に一方的にレッテルを張り、論理的な追及をただ否定するだけ。
否定の根拠はない。これが通じるのは、自分たちが大きな権力に守られていると確信しているからだ。
いじめっ子が腕力を根拠に殴るのと同じだ。なぜ殴るのか? 殴りたいから。そういう理屈だ。
私はいじめが大嫌いだ。
そもそも、ハラスメントとは立場の強い側から弱い側へしか行われえない。
一個人から弁護団や法人組織へのハラスメントなんかあるわけがない。
じゃあ、私が国に対して国家賠償請求したら、国へのハラスメントなんだろうか? へそで茶を沸かすような話ではないか。
ハラスメントに苦しむ人たちがたくさんいるのに、ハラスメントを既得権力と甘い汁を守るためだけに使う。
そんなの、反ハラスメントへの冒涜だ。
同じく、フェミニズムを単なる税金泥棒の手段に使う(泥棒でないというなら、黒塗り一切なしの会計報告が出せるはずだが出せないのでこれは確定と言ってもいいのだろう)。これもフェミニズムへの冒涜以外の何物でもない。
冒涜している側の人間が、さも自分たちが正当のようにいいつのる。
まるで、いじめた人間が「いじめられた奴が悪い」というのに似ている。
本当にハラスメントに苦しんでいる人間にとって、強い側がそれはハラスメントだ! といいつのることのおかしさは、部下が上司にため口をきくのはパワハラだ! というくらい滑稽である。
気に入らない部下からパワーハラスメントを受けた!! って通るか?? セクハラとかならわかるが。
そんなもん部下の教育がなってない自己責任でしかない。
立場上、上なんだから、評定を落とすとか、左遷候補に推薦するとか、いくらでも反撃できるのだから。
また、私がひどく腹立たしいのは、本来弱者の権利であるハラスメントや、弱者を救済する思想であるはずのフェミニズムが、体制側の人間に悪用されている事実である。税金をむしばむために。
そもそも個人情報保護法自体が、個人の情報を保護するためではなく、個人情報保護といういかにもな名目で既得権益者たちが自分に都合の悪い事実を隠蔽する根拠にするための法律であった。今回もよく似ている。
私は弱者の味方だ。そうありたい。
本来、左翼思想とはそういうものであろう。何のための革命か。税金を泥棒して革命なんかできるか。
暇空氏とColabo+弁護団。どっちが弱者だろうか。
火を見るよりも明らかである。
注意してほしいのは、Colaboとは、そこで支援を受けている女性たちのことではなく、運営している連中のことであって、わざとこれらを混同する連中がいるが明確にわける必要がある。
なぜなら、支援を受けている人々は、別に他の施設や組織へいってもいいわけだから、組織としてのColaboとは独立した概念である。
ただ、問題としては、裁判所は弁護団側のつくだろうなあということだけだ。
たぶん、氏は負けるだろう。
氏が負けるのはもう決まっているようなものだ。
氏に勝つ目はない。
氏は共産党がバックになんとかかんとか言っているが、税金が垂れ流されている時点で、政府そのものと癒着している。
しょせん、弱小野党の共産党にできることなど高が知れている。共産党は残念だが、ほとんど権力などない。
政府との癒着を裁判で質すのはむつかしい。最高裁でひっくり返されるのが関の山だ。
しかしながら、モラルにもとる集団の存在を世に知らしめ、公式文書に残すことは大事だと思う。
ただ、氏は個人で戦っているから余裕がないのかもしれないが、あまりに攻撃的な言動が多いと賛同を失ってしまうと思う。
私はこれはインモラルな連中との戦いだ、と感じている。
だから、暇空氏はモラル的でないといけないと思う。