子供向けの雑誌に、最近はTAYOとかBabyBusが載っている。
TAYOは韓国のCGアニメ、BabyBusは中国の教育番組だ。
私はどこか文化侵略じみたものを感じるが、これはかつて来た道だ。日本が欧米にやったことだ。家電に続き、日本は同じ目にあっている。
かつて、アメリカの父親母親は、日本のアニメを見る子供たちに対し、似たような鬱屈した感情を抱いたに違いない。
ネットの情報量は増えたが、増えただけで、身がない。
身がないだけじゃなく、無意味にコピペされたデータが乱立していて、中身もない。
情報量だけ増え、情報自体は増えていない。
たとえば、youtuberが配信をする。切り抜きが乱立し、さらにその切り抜きを張り付けたまとめがサイトが何十個もある。ね? データ量だけ増えて、情報は増えてない。
昔のネットは少なからず自己満、自己顕示欲が支配していた。いまもそうだが、いまは猫も杓子もアフィだらけになった。結果として、マイナーな情報は消え、ウケそうなものばかり、似たり寄ったりの情報がコピペされて流布される。アフィは一定の炎上は収入になるから望むが、炎上しすぎるのは望まない。
そのせいで、確かに自己顕示欲の肥大化した馬鹿は減ったが、ウケのために犯罪行為を繰り返す人間は増えた。再生数で儲けるためには、誰もが理解できるものではないといけない。ワイドショーでもりあがるのは、犯罪と不倫である。youtuber同士の不倫や暴露が横行し、何の実にもならない情報だけが増え続ける。
youtuberは一般人なので、公人の政治家の不倫のような価値はないのだ。
子供向けのyoutuberは男の子向けなら十把一絡げにトミカで、もはや再生数が稼げるかどうかは運の世界だ。
そもそも、20年くらいまえまではネットの情報はテキストベースのものが多く、通信量を圧迫するからとISDN回線だと画像も嫌悪する場合すらまだあった。
テキストベースが動画になったが、動画と言うのは情報量は多いものの有益な情報は多くない。世の中、youtubeで小銭稼ぎしたいがために、テキストスクロール動画という狂気の産物まで生まれた。私には発想すらわかない。
テキストベースなら5分で読めるところを、同じ情報を得るためにテキスト動画にされたら倍以上の時間がかかり、巻き戻すのも面倒だ。
世間は動画を求めている。これは理解できる。
なぜならネットがはびこるずっとまえから、TVこそが娯楽の王様で、市場規模が段違いだった。アメリカなんて映像産業と書籍産業を比べると、あり得ないほどの差がある。日本もそこまでではないが、同様に埋めがたい差がある。
私は案外、出版業界は安泰なんじゃないかと思う。
テキストベースを望む人間の数は昔から少数で、今も少数だが、私含め彼らは動画に移行する気はないからだ。動画に移行するのはTV大好き人間たちだ。
日本の治安の良さは、ヤクザやチンピラが儲かる仕事である、というのが最大の理由だと思う。
彼らは儲けを手放したくないので、一線を越えてこないことが多い。警察沙汰になって、折角の儲けを失いたくないのだ。もちろん、アメリカだって、ベガスを支配するようなマフィアは儲かっているが、ほとんどのチンピラは貧乏だ。50万円で殺人すらするくらいに。
日本で50万円で殺人を請け負うチンピラはいない。理由は、的屋だったり、風俗だったりをやった方がずっと儲かるからだ。殺人なんて馬鹿げている。
アメリカでは風俗は厳しく取り締まられる傾向があるからチンピラは儲からない。日本ではソープは自由恋愛ということになっており、ほとんどの都市には風俗街があるし、なくてもデリヘルは存在する。観光地なら絶対ある。
また、チンピラは生活保護をだいたい受給していて、少なくとも田舎では中流以上の暮らしをしていることが多い。生活保護+非合法の仕事で。一般人は鬱の診断書でもない限り受給できないが、チンピラはすぐ受給できる。
こうしておくことで、チンピラに重大犯罪をやるのは損と思わせるのが日本式である。これは確かに重大犯罪を起こさせない抑止効果があり、欧米と比べ殺人件数などはとても低い。その代わり、軽犯罪被害者は泣き寝入り、と言うことが多くなる。すべてがうまくいくということはないのだ。
日本では軽犯罪は示談で片が付く。被害者が拒否しても、警察や司法が強引に示談させることも多い。なので、一見軽犯罪も少なそうだが、実際は少なくはない。雀の涙のような示談金で被害者が泣き寝入りに等しい状態に置かれているだけのことだ。むしろ多いのではないか? とすら思う。
日本人の三分の一は万引き犯だと思うし。
重大犯罪を少なくするために、チンピラの軽犯罪に目を瞑る。これがいいか悪いかは価値観の話だろう。田舎で豪勢な暮らしをしているのは、やくざかチンピラか医者で間違いないし、そのようなチンピラをのさばらすのを是とするかどうか、だ。
心神喪失→鬱とかならいざしらず、精神の体調管理ができていないわけで、なお悪い。
文書が存在しない→悪い文書が存在するよりも悪い。現代社会は文書主義なくして成立しないので、文書が存在しないこと自体が大罪である。
死ぬとは思わなかった→一般常識に照らせば死ぬようなことに思い至らなかった時点で、なお悪い。娑婆に出すべき人間じゃない。
記憶にございません→幼稚園児ならいざ知らず、重要なポストの人間が重要なことを覚えていない時点ですでに悪い。そんな痴呆のような状態ではとても職務は遂行できず、即刻辞任すべきだ
誤解を与えた→人のせいにするな。そうとしか受け取れない言い方をした時点で悪いし、誤解したと相手のせいにしている時点で何も謝っていない。むしろ責任転嫁でなお悪い。
私には上記の事柄は、問われている罪以上になお悪いと思っているが、なぜか日本では無罪である。イミフ。
街頭で叫ぶだけのやつは嫌いだ。
自分では何もしていないんじゃないか?
他人にやらせようとしているだけじゃないのか?
それが啓蒙かもしれないが、啓蒙などというのは街頭演説で一体何か意味があるのか?
単なる一般人の話に感動し、感化される人がいるとでも?
だから一般人はそんなことしている暇があるなら、別のことをすべきだ。海岸でゴミでも拾えばいい。街頭演説など無駄だ。無意味だ。
政治問題なら、ロビー活動して意味がある。
しかし環境問題では無意味だ。
街頭で環境問題を語るやつが大嫌いなのは、実際に何もしていないのした気になっていることと、自分は理解していて他人を啓蒙しようと考えているおこがましい一般人にすぎないからだ。
おまえがしなくても、偉大なスポークスマンが一人いればいい。グレタみたいなのがね。
草の根活動とは、街頭でがなることではなく、実際に実践することだ。