いじめ問題

 いじめ問題にはいくつか議論上の誤りがある。

 

 そもそも第一に、「いじめ」という言葉だ。


 外国にいじめはないというが、あるだろう。あるだろうが、日本のように、「いじめ」という言葉はないわけだ。

 それは必ず「傷害」になる。

 日本においては、「いじめは傷害にあらず」、である。

 だから、相当ひどいことをしても、逮捕されることはほとんどないし、一方的に殴られればどう考えても被害者が擁護されるのだが、これが「いじめ」と呼ばれた瞬間、被害者側にもいじめられるだけの問題が~という話になってしまう。


 一度生まれた言葉を消すのは困難だが、「いじめ」を「傷害」と呼ばない限り、いじめはなくならない。そもそも、いじめという言葉自体、この加害者有利な語義からして、加害者側が作った言葉だろう。

 

 ・いじめには時効がある
 ない。

 そもそも法律上いじめに対する規定などないから、そもそもない。

 さらに言えば、ほとんどの人間にとって「いじめ」は関係ない話なのだ。だから、「時効」などと言い出すのは加害者である。耳を貸す必要はない。
 また、時効は捜査上コストがかさむというだけの話で、倫理的に推奨されるものでもない。

 実際、倫理上の問題で重大犯罪から時効規定は削除された。

 

 ・盛って話しただけ
 もって話しただけで、事実はもっと矮小だったというやつがいるが、そもそも普通の人間はウシジマくんみたいな世界を想像することもできない。

 だから、過酷ないじめ内容を思いつく時点で、「そういう願望」を持っていることを意味する。
 実行したかしないかの違いでしかなく、クズには変わりがない。

 

 ・反省した
 しない。絶対に反省しない。
 いつもいっているが、いじめる人間はもともと「性根がゴミ」なのであって、反省はしない。これは性犯罪が累犯だらけなのと同じで、脳みそがくるっているのだから、更生の余地はない。
 ロボトミーのような手法しかない。
 また、口では何とでもいえる。
 口で反省したとはいっても、じゃあ、被害者にお見舞金100万円でも包んだか? といえばそんなやつは一人もいないのである。そうではなくても、いじめ被害者救済団体に1円でも寄付したかといえば、それもないのである。
 まだ自分は悪くないといい募るほうがマシで、すぐに「反省した」とぬかすやつは保身以外の目的はなく、つまり、自己中である。自己中ゆえに、他人の悲しみや苦しみは理解できないのだ。

 

 ・認識の違い
 加害者が、いじめているつもりはなかったとかいうと、被害者側が一方的な被害妄想を抱いていたというように解釈する人がいるが、これは違う。

 人間だれしも認識が違うわけで、加害者側のいうことを鵜呑みにする連中が多い(人間、特に日本人は強者の意見に強く同意する性質を持つ)が、不公正である。
 もそも、サカキバラのようなキチガイサイコパスなら、「いじめているという認識」がない可能性も高い。それでも、彼が「いじめているつもりはなかった」といえば、いじめは成立しないのだろうか?

 加害者の意見を聞くのは無意味だ。

 だからといって被害者の意見を鵜呑みしてもいけない。嘘の可能性も否定できないからだ。
 だから、クラスメートにでもきけばいい。第三者だから。匿名で。
 なぜ加害者・被害者だけの認識問題にするのかがわからないし、無意味だ。教員にきくのもまた無意味だ。
 また、実際のいじめの有無よりも、加害者が「どういう人格」かということがいじめの判定には大事である。クラスメートの多数が「あいつならやりそう」という人間は「やる」のだ。

 

 ・気づかなかった
 よく学校関係者がぬかすが、そもそも管理監督責任というものがある。
 この管理監督責任はあるはずなのだが、ほとんど追及されることがない。

 マスコミも、被害者に申し訳ないと思わないのか、とかそういう感情論しか言わない。これはマスコミも「管理監督責任」の問題に触れたくないからに他ならない。
 気づかなかったは許されない。言い訳にすらならない。
 政治家もマスコミも、あらゆるものが「管理監督責任」を無視する。

 部下の責任は上司の責任だ。

 最終的に事が大きければ社長や首相の責任である。が、大企業や行政でそれがきちんと追及されたのは、おそらく、田中角栄が最後だ。

 

 ・作品に罪はなし
 あたりまえ。
 そして作品と作者は別だからこそ、どんな高名な作品の作者だろうが断罪され売る。

 都合よく、偉大な作品を~とか言い出すやつがいるが、まったく関係ない。いじめた事実だけが議論の対象である。