山上容疑者は異質だ。
あれから半年以上経った気がするが、そう思う。
これまでも社会や自分の境遇への恨みから反抗に走る奴は多かったが、所詮は弱い者いじめだった。
弱い自分が強いナイフをもって、強くなった気分になって、弱いそこら辺の一般市民を刺し殺す。そういう連中ばかりだった。
弱いものが弱いものを殺す。
何にもならない。誰も得しない。
社会を成立させている側の人間は怖くて手も出せないのだ。
弱いから。
しかし、山上は違った。あろうことか元最高権力者を撃ち殺した。
宗教で家庭が崩壊する家はごまんとあるが、彼らは教団へ復讐もせず、やるとしても一般市民一般信徒を傷つけるだけ。
彼らは弱虫だ。
山上は弱虫ではなかった。
復讐すると決めたからには復讐するというメンタルも強い。
通り魔的な犯罪者はたいてい、弱虫である。
だから強い人間を殺せない。
秋葉原の加藤なんかいい例だろう。世界が気に入らないのに一般人を殺してどうするというのか。
そう思うと、教団施設への侵入が無理だったから、じゃあ、関係者の中でも最も権力を持っていそうな安倍を撃ったところがすごい。
何度も言うが、普通の弱虫たちなら、教団本部へ行ったが何もできず、帰りの電車で一般人を撃ち殺すことだろう。
山上は最初から安倍以外に被害を出す気はなかったようだ。
日本犯罪史上、この手の犯罪者はそうはいない。
これまでの政治家暗殺では、たいてい、境界知能か知恵遅れの右翼少年が利用されてきたが、山上はそうではない。
むしろ経歴からして、頭脳は優秀な方だ。
正常な知能を持ち(多くの通り魔が境界知能とみられる)ながら、誰かの洗脳を受けたわけでもなく(左翼政治家の暗殺に右翼の洗脳された少年がよく用いられる)単独犯であり、単純な恨み(権力者を恨み続けることができる精神)から、右翼寄りの権力者(ほとんど日本の歴史で殺害された政治家は左寄り、庶民派がほとんどである)を撃ち殺したやつは近年どころか歴史的にも皆無と断言してもいい次元だと思う。
彼は正常な人間だが、犯罪者の累型的には「異常」だ。
この手の殺人劇に出てくるべき人物ではない。
秋葉原の加藤であれば、加藤の弟がいうように、家庭環境が犯罪者を生むというのならば、弟である自分が重大な殺人事件を犯していないのが何よりの反例と言っているように、所詮、犯罪者は犯罪者気質がそこに存在する。
加藤は母親の教育が普通であったとしても、加藤はそもそもの能力が低く、対人交渉に難があったわけで、どっちみち社会を恨んだだろう。
しかし、山上には犯罪者気質をあまり感じない。
これこそ、世間とマスゴミが待望した「環境に作られた犯罪者」そのものだ(逆に言えば、これほどまでに社会的な被害から生まれた犯罪者は稀といえる。たいてい、マスコミや左翼が擁護する「環境に作られた被害者扱いの犯罪者」は誰がどう見ても性根自体が生まれ持ってのカスにしか見えない)が、今回はそういった論調にはなるまい。
なにせ、そこを掘ると、宗教とカルト、カルトと政治家の癒着といった社会構造をつまびらかにしないといけなくなる。
だから、山上は非常に珍しい「環境に作られた犯罪者」だが、どこにでもいる「犯罪者気質の犯罪者」として片付けられることだろう。