憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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日本の街並み

・路駐の有無
・都市計画性
・建物の統一感

 これらが決定的に違う。
 日本の住宅街は衛生的には綺麗だし、路駐もないが、道がぐにゃぐにゃ、建物に統一感がなく、都市計画税とかとっておきながら、都市計画性が感じられない。

 ほとんどの世界の住宅街はこの三要素、家に駐車場がなく路駐ばかり、道路自体は汚いが作りは整然としていて、建物主体ではなく道路主体で整備されたと思われる都市計画性がある。
 電柱ではなく、共同溝となっているあたりも都市計画性を感じる。

 また、個人住宅なのにどれもストリート毎に比較的統一感があること、ガーデニングが閉じておらず、開けていること(道路や公共スペースの一部のようになっている)が違う。
 暗黙の公共性を感じる(欧米だけではなく、タイもそんな感じ)。

 もちろん、田舎はめちゃくちゃだろうとは思うが・・・。
 ただまあ、どこも新興の住宅街はよく似ている。が、この三つの要素が違う。

 ただし、先進国でそっくりなのは、やっぱり韓国である。日本に精神、文化、地理、言語、人種的に一番近い国だから仕方ない。
 韓国も共同溝化はあまり進んでおらず、建物に全く統一感が見られず、ソウルの道がぐにゃぐにゃである。ただし、日本と違い路駐が多い。

 田舎になると、日本の田舎と韓国の田舎は似ていない。
 韓国は中国とかと同じで、一か所に集住して、その集落を囲むように田園が広がるのだが、日本の場合、集住の密度は低く、各家が自分の畑や田圃の近くに家を建てるため、家がまばらになっている(農村の場合、武家は集住した)。
 このへんに、生来の互助精神の低さ、公共性の低さが如実に現れている。日本では客家土楼のようなものは絶対に出現しない、と断言できるわけだ。

 もっとも、日本だって、弥生時代までは集住するタイプの環濠集落が多かったが、のちに消滅した。
 巨大な文化的もしくは人種的な入れ替わりがあったように思える。

 こういった生活様式の巨大な変化は偉人と国家の歴史には表れない重篤な何かがあった、と見るべきだろう。
 たとえば、中華料理から「膾」や「生魚」が消滅したことも巨大な文化的変動があったと見えるしね。

 もともと和食は例によって中華料理のパチモンから始まったのだが、本家で消滅してしまった。
 和服も同じで、高級な和服を呉服というが、これは「呉(中国南部)」の服というそのまんまの意味で、中国の呉服も日本の呉服そのものだったが、これまた本家でが消滅してしまった。