堀井雄二

 堀井雄二に才能は感じない
 坂口博信の方が感じる。

 

 と、いうのもドラクエってウィザードリィとかD&Dの「劣化コピー」なんだよね。初代なんて、パーティ一人だし。

 3の職業システムも、アメリカのTRPGのまるパクリでしかない(日本ではTRPG文化はないし、アメリカのRPGは一切流行らなかったから堀井の功績に見えてしまう)。

 

 目新しいものは特に感じない。

 あえて目新しいのは、キャラが可愛い(ウィザードリィとかウルティマとかかわいくない)ことだけど、これは鳥山明の功績であって、堀井の功績じゃない。

 冒険の書とかの音楽も素晴らしいが、こちらもすぎやまこういちの力であって、堀井じゃない。


 私はほとんどドラクエをプレイしたことがないから言えるのだが、ドラクエのストーリーやシステムにセンスを感じたことがない。

 

 さくまあきら堀井雄二を絶賛しているが、疑問符しかつかない。

 

 たとえば、教会で復活するというのも、これがしっくりくるかと言うと来ない(さくまは絶賛しているが)。多くの日本人が最初に触れるRPGドラクエのせいで、刷り込みがあるとしか思えない。


 私は幼少期、一切ドラクエをプレイしなかった。


 やったことがあるRPGは、多くなく、英雄伝説(1のみ)、FF(ほぼ全部)とテイルズ(ファンタジア、D2)、ポケモン(初代のみ)、幻想水滸伝(2のみ)で、ドラクエ的世界観がRPGの基本とも思わなかった。同級生たち、特に男子はもれなくドラクエをプレイしていた。

 

 よく魔王と勇者のパロディはドラクエ的世界観のパロディであることが多いが、私にはよくわからない。ドラクエが基本とは思えないからだ(今となってはパロディのひ孫引きみたいな作品ばかりだが)。

 

 さて、私は大人になってからドラクエをプレイした。
 だからパーティーの背後に棺桶が連なっているのが、ブラックユーモアとしては面白いと思ったが、違和感しかなかった。


 当然、教会で復活というのも、FFに比べて全然海外で受けないのはこういうセンスなんだろうなあとしか思わなかったし、復活の泉みたいな要素の方が妥当に思えた。これもブラックユーモアとしか思えなかった。

 

 また、簡単に生死を扱うDBの影響も感じた。鳥山が関わっているから、氏の影響のように思え、堀井の影響には思えなかった。

 

 よくストーリーも絶賛されるが、正直よくあるようなストーリーで、何が目新しいのかわからない。ピサロの話だって、小説や映画ではずっと昔からありがちだろう(ライブアライブヘラクレスの栄光3くらい複雑なら、あれはゲーム媒体だからこそだし、評価できる)。


 なぜこんなに絶賛されているのか。


 RPGにタイムリープ要素を盛り込んだ坂口の方がセンスがあると私は思う。よく、FFはドラクエのパクリだと日本では思われているが、発売時期に差は殆どなく、坂口が参考にしたのは、海外のRPGであったのは明白だ(坂口は咀嚼したが、堀井はまるパク)。
 ただ、初代の竜王の問いかけ「世界の半分~」のくだりはセンスがあると思う。

 

 他にも堀井の功績と思われているものは別にそうじゃない。

 

 冒険の書ふっかつのじゅもんというのも、当時はROMにセーブできない関係上、そうするしかなかっただけだし、以後のRPGは普通にセーブとかロードとかいう用語を使うようになったので、影響があるとは言えない。

 

 武器屋とか道具屋というのも、別に分ける必要はどこにもない。アイテムショップ一個でいいわけだ。わけた理由はしょぼい町をしょぼくないように見せかけるためのテクニック(店が一軒だとしょぼく思える)で、どちらかといえば悪影響の類だ。

 

 ただ、ファルコム英雄伝説シリーズがドラクエの強い重力圏内にいたのは理解できる。
 それも空の軌跡以降は重力圏から離脱したようだが。