支那(シナ)は現在は差別用語らしいが、元々は別にそういう意味はない。
というのも、中国語の仏典にシナと書いてあるからだ。もとは仏教用語である。
日本人がシナと呼ぶようになったのは仏典にそう書いてあったからに他ならない。
そして、その仏典は当然だが漢語で書かれている。
どういうことか?
そもそも仏典とはインドのものなので、原書はサンスクリット系言語で書かれていた。
これを中国人が翻訳したのであるが、このとき、インド人は中国のことをシナと呼んでいて、中国人はそれをそのまま音訳(支那)とした。ただそれだけの話なのだ。
当時の中国には中国は一つという考えは薄く、天下は一つだったかもしれないが、自身の漢族を呼ぶことがなかった。だからそのまま訳した。
このシナは英語のチャイナと同じである。
指しているのは秦のことだ。
ほとんどの国が中国をシノとかチノとか似た様な名前で呼ぶが、ロシアや一部地域以外(ロシア語圏ではキタイと呼び、日本では唐と呼ぶことが多い)はほぼすべて、秦のことを指している。
初の中華帝国の名は中国を指す代名詞となったわけだ。
たった数十年しかなかった帝国のはずなのに、だ。秦がどれだけ強大な帝国だったかわかろうというものだ。
つまり、シナとは秦のことだ。
だからもともと差別用語ではない。
しかし、現在、シナという言葉は意味が分からないと思う層も少なくないが、中国という言葉の意味がわからないなら、そいつは病院へ行った方がいいだろう。
そう、中国という広く通用する一般的な呼称が普及しているにも関わらず、「あえて」シナと呼ぶ。
なぜそんなことをするのか? そこには明らかに意図がある。
ネトウヨの差別意識ゆえだろう。
だからシナという言葉そのものには差別的ニュアンスはないが、「あえて」使うことに差別意識がある。
日本人を指す侮蔑語ジャップだって、もともとは単純にJapanやJapaneseの略称でしかなく、現在でもJAPと書かれること(一般的にはJPNだが)もあったりする。
しかし、Japaneseと呼ばず、あえてjapと呼ぶならば、そいつはレイシストだ。
「わざわざ使う必要のない言葉」を使うことが、その使用者が差別者だという何よりの証拠だ。
メクラもそうだ。視覚障碍者という言葉あるのに、あえて使う。これは差別だ。