私有国家において、権力者は絶対的に責任を負う。
かつての貴族社会はそうであった。
貴族は土地と人民を所有するが、土地と人民に対し責任を負った。
だから一揆や反乱で殺害されたし、それは普通のことであった。不作、飢饉、誰が悪いのかって? 領主様が悪いんだよ!!
中国の易姓革命がまさにそれで、天命が尽きた(国家運営が破綻した)なら、神に等しいはずの皇帝を人民が殺害(革命)したとしても、それは簒奪には値せず、神はそれを許す、という思想だ。
しかし、近代国家は私有国家ではなくなった。
これはよいことのように思われるが、一概にそうとも言えない。
なぜなら、人民は支配者の所有物ではなくなった代わりに、いわゆる上級国民(かつての貴族)は何ら責任を取らなくなった。かつては、製造物責任法ではないが、所有物の不始末は所有者に責任が帰せられていたのだが、これがなくなった。
彼らは私腹を肥やし、搾取し、そして、国家を破綻させても責任を取らない。
だってそうだろう?
選挙で選んだのは国民じゃないか!! かつての貴族たちのように、軍隊と私刑を使って支配したわけじゃない。
さらに悪いことに、国家運営に失敗したからと言って、国民が上級国民を殺害することもできなくなった。
それはテロリストという人類の敵とみなされるようになった。正規の手続き=選挙を踏んでいないと。
易姓革命は不可能になったのだ。
そもそも、易姓革命が成功したのは、ただのテロではなく、多くの人民が反旗を翻したから成功したのであって、本来はテロとは区別されるものだろう。
下級国民の支持のないものをテロというのだ。
こう考えていくと、支配者層がこぞって「テロとの戦い」を標榜したのがわかるだろう。下級国民の活動家がテロとの戦いを声高に言ったことはなく、いつでもテロを敵視したのは上級国民だという事実は覚えておいた方がいい。
さて、こんなに支配者層に有利な国家体制、人類史上初である。
一見、国民は自由だが、国家を支配しているのは事実上一握りだ。国家運営に国民が関与できる部分は少ない。