バンクシーと実用品

 面白いものには値が付かない。


 投資や投機の対象にならないからだ。


 現代美術にアホみたいな値段が付くのは、あれに投資や投機的価値を見出すアホがいっぱいいるというだけで、芸術としての価値はほとんどない。芸術的な価値がないからこそ、値が付くのだ。


 人は楽しむものに、案外金を出さない。それは楽しむもの、面白いものは、押し入れにしまって値上がりを待つものではなく、「実用品」だからだ。
 だから、値の張る美術品ほど価値がない。


 ただ、ダビンチのように扱いがもはや「金塊」のようなものは、価値があるといえる。ただ、それが面白いものとは言えない。


 バンクシーも、彼の芸術に価値はない。「投機的」価値以外ない。


 オークションでシュレッダーにかかった絵は面白かったが、じゃあ、コメディアンの面白コントに多額の金が出るかといえば、出ないのだ。

 理由は単純。

 コントは芸術だが、日常の笑いであり、「実用品」だからだ。もちろん、集客力があれば数億ドルの出演料が出るかもしれないが、それはそのコメディアンが価値を生み出すからだ。


 バンクシーの絵は何も生み出さない。

 虚業フェイスブックとグーグルのことだ)のように、お金は生み出すかもしれないが、お金そのものは「虚妄」であるし、バンクシーの絵が「すごい」とほめる人がいても、感動した、という話はきかない。

 心に訴えるものが何もない。ストリートアートの時点で文脈もないのだろう。
 バンクシーの作品は無価値だ。


 無価値だからこそ、「今後価値が出る」という期待から投機対象となる。
 「実用品」はみんな価値を知っている。だから値が付かない。安い。
 無価値を潜在価値があると誤謬する人間は多い。


 芸術を馬鹿にしているように思う。

 だから私は投機対象でしかないバンクシーは大嫌い(人格的にどうとかいうことじゃなく、世間の持ち上げに対して)だ。

 シュレッダーされた絵に、あんなもん1000円の価値もない。

 そもそも、あの芸術は、「オークションでシュレッダーにかけられる絵」というあの瞬間にしか存在しない空間(時空)的「芸術」であって、その点で言えば、拍手喝采の芸術だ。素晴らしい。


 よって、シュレッダーされたものには「芸術」の価値はない。
 シュレッダーが止まった時、彼の芸術はそこで終いなのだから。


 あんなもんに何億も払うやつは「芸術」を理解していない。

 貧しいことだ。

 その紙切れはゴミだ。バンクシーの芸術は、あの瞬間オークションハウスにいた人間だけが味わえるものだったのだ。そんなこともわからないのか。わからないやつが多いから、最早、芸術=投機でしかない。


 あれは芸術の死体だ。
 死体は腐るだけだ。価値は出ないよ。

 

 死体も生きていると強弁することは可能でも、ネクロフィルが気持ち悪いように、多数の共感は得られない。

 芸術と共感は別か?

 

 そうじゃない。

 

 真の芸術とは、「最大多数」の理解を前提にしている。そういう意味では、ツタンカーメンのマスクは人類史上最高の芸術品である。

 

 あれを見て、何も思わない人はほとんどいないだろうし、あのマスクは最初から「国家事業」として「芸術」として作成された。後世の人間や、一部のマスメディア、画商、批評家がつくりあげた虚妄ではない。

 最初から「芸術」であった。