憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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シンエヴァ

 エヴァが終わったらしい。
 ついにか。

 

 私は序、破とみて、破がくっそ面白かったので、庵野やったやん。やっとまともに作る気になったんだな。やっとアニメの投げっぱなしジャーマンやめるんだな。と思ったが、Qがアレだったので、私は愛想をつかした。

 

 もっとも、今度の終章は評判はよいようだ。
 ガチエヴァオタには不評なんかもしれんが、少なくとも初代エヴァからまあ、深入りするわけではないが、新作でれば見ていたような層にとっては、おおむね好評なようだ。

 

 

 庵野秀明は映像監督よしてはぴか一である。
 が、ストーリーテラーとしてはカッスだ。

 

 これは最初からわかっていたことだ。

 

 というのも、これまでのロボットものの延長線上(庵野自身、インタビューでエヴァはロボットものと呼んでいる)にあるような展開だったうちは普通に面白かった。
 個人的には、これまでのロボアニメにはないスタイリッシュさ(エヴァのデザインや、演出、漢字主体のキャプション、多用される静止画、衒学的な設定)があったが、目新しいわけじゃなかった。
 ただ、最後の2話で流れが変わった。

 

 しかし、あれは作画とか予算とかそういうんじゃなく、ストーリーをたためる手腕が庵野にはなかった、ということにすぎない。
 実際、エヴァの用語や設定の多くは中身がない。
 後続するオマージュ作品(だと私は思う)のラーゼフォンはちゃんと意味と中身がある。

 

 エヴァの設定や用語に中身がないことは、喝破されるのに時間がかかったが、ようは、演出の延長線上にあったから、意味も中身もなかったのだ。あれをストーリー作劇の要素をと考えるから、混乱したのだ。
 エヴァは演出優先の設定が断続的に続く、「演出偏重」の作品で、ストーリーは従来の借り物にすぎなかった。
 演出の話をしないといけないのに、皆混乱して、物語の話をしてしまった。これが大きな間違いだった。

 

 借り物のストーリー(28号から続くロボットものとしての水戸黄門化した物語)を捨てたとき、エヴァは中身がなかった。しかし、演出だけはあった(Qも、人工衛星で戦闘するオープニングのすばらしさ。もうロボットものの戦闘シーンは出尽くしたと思っていたが、そうじゃなかった。やはり演出を担う人間としての庵野は天才だ)。


 だから無駄に皆を引きつけてきた(もうひとつ厄介なのが、キャラ造詣が極めて良かったことだ。綾波はほとんど新しい領域のキャラクターで、雨後の竹の子のようなフォロワーを無数に輩出したが、最近は消滅したように見える。綾波系キャラの消失は、すなわち、エヴァファンがアニメを卒業していくのとリンクしているのかもしれない)。

 

 旧劇はまあ、そこそこストーリーはまとまってはいた。
 TV版は完全に話を投げていたが、一応、「意図的に投げ出したような話」として旧劇は成立していた。

 

 今度のシンエヴァは、「意図的に幕を引いた話」なのだろう。
 なら、ちゃんと総括できてよかったと思う。そのうち、見ようとは思っているが、なかなか見だせない。

 

 シンウルトラマンとかシン仮面ライダーとか企画があるみたいだが、たぶん、つまらない。シンゴジもあまりのつまらなさに寝てしまった。


 正直、ゴジラ作品は十作以上見てきたが、一番つまらなかった。演出はよかったが、結局ゴジラは初代の出来がよすぎる(演出、ストーリーともに)ので、ハリウッドを意識していたビオランテとどっこいだと思う。庵野はアニメの演出は神だと思うが、本人がやりたい特撮については、またジャンルが違うし、案外、才能がないように、個人的には思っている。