特に日本社会はそうだと思うが、外国でも大して変わらないだろう。
現代ではその人の能力と所持金には相関関係が薄い。
株なんて最たるもので、予想や金融工学が無意味であるのは証明されている。世間は否定するだろうが。
あれは運だ。
ギャンブルと違うのは、胴元が複数いることと、ギャンブルそのものの主催者はいないということだ。カジノなら胴元が主催しているが、株式市場は明確な主催者がいるわけではない。もっとも、だからこそ、複雑系でありカオスであり、計算はできない。
だから、馬鹿が大金をもっているというケースが多くなる。
馬鹿でも運だけで大金を手にすることができるのだ。今の株取引はネットでいつでもできるので、専業しなくてもいいし、コネもコミュも何もいらない。
必要なのは運だけだ。
こうなってくると、ものを売る側としては誠意ある商品は通用しない。
たとえば、むかしの職人がつくっていた日用品のようなものは通用しない。あれらが高価だったのは材料が高いことと、職人が一か月とか長期間かけてつくる関係上、人件費が膨大になるということだった。
持つことはステータスであったし、そもそも、時間をかけてチューンした日用品の耐用年数は長い。ニトリの棚は数年でダメになるが、祖母の家にある和箪笥は100年以上経ってはいるが、きれいだ。
伝統工芸品は多くの場合、そういうものだ。和風建築に合わせたデザイン、売りは耐用年数と頑丈さと精度。
包丁なんか職人のつくった包丁の切れること切れること。そして研いでも傷まない。工業製品の包丁は研ぐのに向いていない。研ぐことを前提にしておらず、使い捨てにすることが前提だからだ。
だから、むかしの金持はそういうものを買った。ある意味、資産だったのだ。子孫も使える。買っておいて損はない。
むかしの金持が神社や仏閣に寄進したり、そもそも寺社を建立したのも、子孫のためであった(神仏のご利益を信じていたわけだから)。これもまた、資産だった。
だが、現代の馬鹿な金持は違う。彼らはFXのような完全な運ゲーであぶく銭を手にする。彼らは一瞬で手に入れた金を一瞬で使う。多くはマウント合戦に使用されたり、刹那的な快楽のために使用される。
ビニール製のアホみたいにかっこ悪いデザインの商品が「マーケティングの妙」だけで売れる。Supermeとかいい例だろう。
ゆえに、明らかに企業は「金を持っている馬鹿」を狙ったマーケを行っているように見える。次から次へといつの間にか現れる「高級品」「人気商品」。きいたこともないものが、インターネットを通じてあたかもすごいかのように流布される。
現代の馬鹿な金持の多くはアナログな稼ぎではなく、デジタルな稼ぎ(株取引、youtube、情報商売、ネット転売など)=ネットを使った稼ぎなので、ネットで騙すのが吉というもの。Twitterで有名なナントカさんがすごいっていってた! これでOK。