日本は多様性の国ではある。
それが私的であれば。
だから欧米のようにゲイなだけで殴られることはないし、黒人に罵声を浴びせたりはしないし、ゴスロリファッションを咎める人間は少ない。
ただ、社会的なダイバーシティは異様なほどない。日本全国金太郎アメみたいに同じような人間、町、社会が広がっている。
アメリカにおけるアーミッシュのような存在は日本では許されない。
キチガイとして精神病院に入れられてもおかしくはない。
アーミッシュがあのような暮らしをするのは自由だとアメリカでは考えられているが、日本では横並びの社会的な生活をしないものは異常者である。
ぽつんと一軒家なんかで山暮らしをしている人がでるが、珍しがる反面、彼らの自由をあざ笑うようなところもあるだろう。
一方、エンタメはどうか。
コミックブックにしても、世界を二分するアメコミと比べたとき、異様なほど自由で、異様なほどジャンルが広い。その代わり、社会的な議論はほぼない。
自衛隊や九条に異論を唱えること自体がキチガイとされてしまうし、漫画に思想を盛り込むとキチガイ扱いされてしまう。
私は議論は大事だと思うが、この国には議論はない。議論する人間は社会には向かう異常者と見なされる。
ギリシャ正教のアトスのような暮らしをしている聖職者はいない。
ボウズはもれなく高級車を乗り回し、神仏を信じてさえいない。
なぜなら、それが文明的で先進的な社会であって、修験道や修行に励むようなボウズは今時ではない。
だから議論も何もないまま、LGBTだのSDGsだの言うだけ言い、勝手に社会で推進されていく。
もちろん、欧米ではこれに難癖を堂々と付けるやつがワラワラいる。日本で難癖をつけると、「アップデートされていない」と言われて終わりだ。え? 議論は? 個人の自由は? と思うことが多い。
明治維新がすんなりいったのも、皆が権力万歳だったからだ。
フランスは革命のあと、いろいろな社会的思想が渦巻き、100年近く混乱し続けるのだ。これがいいか悪いかは置いておき、社会のダイバーシティのなさが、この国の息苦しさだと思う。