デジタルの特許はアホみたいだ。
今ニコンがREDからボディ内Raw記録の特許侵害で訴えられているが、そんなもんが特許として成立しているのがまず馬鹿みたいだな、と思う。
それってRaw形式のデータをカメラに搭載されたストレージに記録することなわけで、そんなもん誰でも実装できるし、新規性もない。
テキストファイルをHDDに描きこむのと原理的に何も差がないからだ。
ハードウェア的には全く違うものだが、ソフトウェア上では全く差がない動作のはずだ。それが特許対象になるというのが意味不明だ。
かつてのハネウェル訴訟のように、もはやアメリカに大手のカメラ企業はないので、REDを保護するためにやっているようにしか見えない。
つまりだ。
ニコンはRawと言わず、Nawとでも命名したファイルを内部記録すればいいだけなのだ。Naw形式はRawとちょっとかえて、固有のヘッダでもつけておけばいい。
カメラから読みだす際にそのヘッダを外して、実質Rawファイルにしてしまえばいいはずだ。
ソフトウェア特許はこういうことが多い。
ハードウェアはばらせばすぐに侵害されていることがわかるが、ソフトウェアはリバースエンジニアリングが難しいし、著作権と秘密保持を理由にソースコードを公開しなきゃいい。
またソースコードは簡単に書き換えられるので、訴訟の場では、ダミーのソースを提出すれば、実際は侵害していても、まあ、わかるもんではない。
だから結局、冒頭のようにRawを内部記録しているという「事実」しか残らない。
そして、それには新規性はない。
ソフトウェアのアルゴリズム的に何も目新しさはないはずだ。
データの記録は50年前からあったことだ。
新規のゴムタイヤに特許はあっても、車輪自体に特許がないのと同じだ。
しかも、これは「結果」のはずだ。特許は何かを実現するための「過程」にあるのではないか? Rawを内部ストレージに記録する、というのは結果でしかないのではないか?
ハードウェアの場合、ほとんど同一の「結果」をもたらすが、内部駆動(過程)が異なるということはある。
これだって、内部にRawを記録しているが、ソフトウェアの挙動はREDの特許とは全く異なるはずだ。しかし、これは特許侵害として成立するらしい。
実際の「挙動」ではなく、「結果」が特許なのか?
変なの。と思う。
おめえのそれ俺の車輪じゃん! と訴えられているようなものだ。
さらに「結果」が特許になるなら、何もできない。別の技術で代替するということができないからだ。
こういう馬鹿な特許は認めないでほしい、と思う。
認めるから、Blu-rayのコーデックみたいなことになるし、Raw自体も形式の数が馬鹿みたいに多い。それは結局、中身ではなく、「名称」や「結果」に特許がつくというデジタル特許の馬鹿さ加減のせいだろう。
RawもうんたらRawかんたらRawとあるが、中身はほとんど同じだろ? と思う。
鉛筆とシャーペンよりも差がないはずだ。
というのも、Rawは受光素子が受けたデータの羅列なので、何だろうが結局同じ。ビット長が違ったりするかもしれないが、そんなもんは、車の色違いレベルで差異ではない。
じゃあさあ、青い車に特許があるのかって。あるなら、それは青い塗料の製造技術とかだろうに。
jpegとSVGみたいな本質的な違いはどこにもない。jpegとSVGならそもそおデータ形式の考え方からして違うし、ちょっとやそっとで互換性を持たせるなんてできようもない。
またベクターデータというのはデジタル以前には存在しなかった新規性に富むものだ。
こういうのって、結局、ほとんど同じなのに形式が乱立するということになって、デジタル世界の害悪だと思う。
だって、ハードウェアなら12V駆動の装置を24VACから動かすことは容易だ。あいだにレギュレータかませばいい。しかし、デジタルは全く同じものなのに1bitズラされただけでもうどうにもできなくなる。
1bit違うだけで、ソフトはそのファイルを扱えなくなるし、確かに1bit分ズラせばいいだけだが、これは改竄で、ライセンスに抵触したりするとまずい。最悪訴えられるのだ。
だからファイルフォーマットなどに新規性はないんだから特許は認めない。データをストレージに書く行為に新規性はないから認めない。そうであってほしい。
もっとも、オープンソースがなぜあのライセンスを使用者に認めさせているのかといえば、ライセンス違反は訴える、という法的な恫喝によって成立している。
デジタルは確かにコピーや猿真似が容易(ハードの場合、設計図があったところで作れるとは限らない)なだけに、法的な恫喝で成立する面はあるのだが、そういったベンダーーロックに対抗するオープンソースもまた、同じ土俵の恫喝で成立していることは理解しておいた方がいい。