命の授業とか言って、と殺して生徒に食わすのはアホのすることである。
いかにも、身近に鶏をつぶしていた時代を知らん馬鹿教師が考え付きそうな話だ。
私の祖父は別に肉を食えなかったわけではないが、自分でつぶした鶏は食わなかったそうだ。
私の幼少期も鶏はいた(卵用で食用ではなかった)が、昔は各家庭で鶏を飼って、父親がつぶして、母親が捌いた。だいたい羽をはぐまでが父親の仕事で、母親の仕事はまあ、行程は多いが、今と変わらない。
そう。
「自分でつぶしたもんは食えん」という人は昔からいたし、自宅で鶏を絞めていた時代からいたのである。
なので、生徒たちが自分たちの目の前でと殺された豚や鶏を食えるわけがないんである。その感性はあたりまえなのだ。
祖父も、子供たちに見えるように鶏を絞めたりはしなかったのだ。だから、18歳で大学へいった父は鶏の締め方を知らない。私も知らない。
しかし、昔であれば、大学へ行かずにそのまま地元にいたわけで、父親から締め方を習ったに違いない。で、それは少なくとも12歳までに習うことではなかった。
で、命の大切さを知りたいならば、私はサバイバルでもした方がいいと思う。ボーイスカウトみたいなのはどうにも日本でははやらんな。
自分の命の大切さを痛感したら、他人の命も配慮できるだろう。
教師はズレたやつが多いが、この手の授業をする教師もまあ、大概である。
理由は判然としていて、「生徒のことを真剣に考える先生」というのは実は「公僕としての教員」には全く不適格なのである。寺子屋でもした方がいい。
なぜって?
そりゃあ、生徒40人の未来と人生と命について日々考えてみ?
あたまおかしくなるで。自分だけの人生でもあたまおかしくなるやつがいるのに。実際教師はうつ病の多い仕事だ。
なので、生徒に対して真剣な先生は、まあ、潰れてしまう。円満退職までもたないんだね。
だから結局、「大して生徒のことを考えない」やつがのさばる。
生徒の興味がないから、教室が荒れていても定時になれば知ったことではないし、卒業したらはいバイバイ。心を砕くこともないから、それで病んだりもしない。
生徒の人生に無責任だから、責任感につぶされたりもしない。
40人の人生の一部を預かるというのは普通の大人には重圧である。夜回り先生だって、結局駄目になってしまったじゃない?
真逆のヤンキー先生の方は実績を踏み台にして議員になって、なあんだこいつ全く生徒に関心なかったんだなあと思った。
確かに議員になって教育改革するならわかるが、別にする気もないようだから。