憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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世界の肯定と否定

 あらゆる物語は、その結末をきちんと決めるなら、「世界を否定する」か「世界を肯定するか」の二択しかない。
 これはシリアスな物語は、そもそも登場人物の内実の解決をテーマにしているからだ。そして、フィクションである限り、この呪縛から逃れられない。

 

 もちろん第三の選択肢として、「投げっぱなしジャーマン」というのがあるが、これはクリエイターとしての逃げだろう。

 

 もちろんこれはシリアスな物語だけに該当し、ギャグマンガは該当しない。
 ゆえに、歳を重ねるとギャグマンガは読めるがシリアスな物語が読めなくなるのは、結局、消化不良ではない結末を望むとハッピーエンドしかないことがわかるからだ。

 

 トルストイアンナ・カレーニナで「すべての幸福な家庭は似ているが、不幸な家庭は多様な理由による」みたいなことを言っているが、その通りで、ハッピーエンドは大なり小なり、大差がなく、デジャヴュに襲われるし、歳をとってまで、多様性はあるとはいえ、バッドエンドを見るためだけに何十巻も漫画を読むという体力はない。

 

 あのエヴァですら、第三の選択肢を捨て、ケリをつけるにはあの方法しかなかった。とってつけたようなハッピーエンドしかなかった。
 原理上、庵野秀明が天才であっても、ハッピーエンドで多様性を出すことは無理なのだ。

 

 その点、ノンフィクションは面白い。


 ノンフィクションは物語と違い、ストーリーを解決、決算する必要はどこにもない。ストーリーの必要性がない。
 言ってしまえば、ノンフィクションは物語の「解決」を望むものではなく、「自分以外の物語」を盗み見るものだ。これは解決を望まないわけだから、どんな幕引きでもいい。投げっぱなしでもいいし、それは投げっぱなしとは言われない。