アフガニスタンの惨状が宗教によるもの、というのは間違いだ。宗教音痴の日本人らしい意見と言える。また欧米の反イスラム思想に毒されてもいる。
よくないのは「宗教」ではなく、「原理主義」である。共産主義にせよ、右翼思想にせよ、原理主義は碌でもない。
キリスト教にも原理主義者はいて、カトリックでは堕胎を禁止していることから、中絶医や産婦人科医の爆殺をたまにしている。何もイスラムに限ったことではない。仏教徒でも、反戦運動で焼身自殺をとげた僧侶(もちろん日本人僧侶にそんなのはいない。即身仏の時代で終わった)もいたが、これも一種の原理主義的行動だろう。
かつてキリスト教にも原理主義の嵐が吹き荒れた。ルターの宗教改革である。
多分ドイツの歴史観の影響を受けているのだろうが、ルターを聖人と日本人は思っている。が、偉人は偉人かもしれないが、彼の思想は徹底した原理主義(聖書第一主義で聖職者の存在を認めないレベル)であった。
しかし、実際のところ、対カトリックに対する処刑や戦争でたくさんの死者が出たが、ルターの原理主義は継承されず(バカバカしいからだろう)、「反カトリックとしてのプロテスタント」が成立するのである。
単純にキリスト教の原理主義は300年ほどまえに終わったが、イスラムは現在進行形であるにすぎない(もしルターが現代にいたらカトリック教会が次々に爆破されて、国際指名手配されるに違いない)。
これはキリスト教に比べイスラム教が800年ほど新しいことも関係するだろう。
もっとも、何よりも間違っているのは、タリバンの言い分が間違っていることである。タリバンの思想でもっとも迷惑をこうむるのは「正しくイスラムに帰依している人々」である。
彼らのせいで、イスラム教への誤解が広まるのだから、いい迷惑だ。
さて、イスラム=女性蔑視というのがそもそも間違っている。元来、イスラム教は他の宗教(キリスト教、仏教、神道など)に比べ、どっちかというと女性救済的な立場にあった。
これはムハンマド自身の経歴も関係するだろう。
ムハンマドの嫁は姉さん女房であった。苦労人だったムハンマドの才能を認めた裕福な家の彼女が彼と結婚したのであって、逆ではない。また、アッラーの啓示を受けたムハンマドは、自分が気が狂ったのだ、と最初は思った。
しかし、それは神の啓示、あなたはキチガイではなく、預言者と言って慰めたのが、この嫁である。最初の信者でもある。
さらにムハンマドは商人だったので、他宗教と違い、たいていのことに根拠がある。
豚が不浄なのは醜いからではなく、寄生虫が多いからだし、一夫多妻なのは、当時のアラビアは戦争ばかりで寡婦が多かったので、金持は面倒を見ろ、ということだし、チャドルを着ろ、というのも、強盗から身を守るために体の線を出して欲情させないようにしろ、ということだ。
酒が禁止なのも酒は諍いのもとだからだ。
さらに、後年のイスラム指導者たちは、神は唯一アッラーのみということは、仏教の神々もすべてアッラーの別の姿であるという解釈(とんでもねえ解釈だ)で、仏教徒を容認しさえした。バーミヤンの石窟が1000年間、破壊されていなかったのはそういうことだ。
酒は禁止だが、酒をお茶と偽る行為も横行した。
元来、十字軍を組織したのがイスラム側ではなくキリスト教側であったことが何よりの証拠だろうが、イスラム教はわりかし寛容であった。
寛容でないなら、初期の科学や音楽理論がイスラム圏で生まれるはずがない。
イスラム教が変質したのは19世紀に入ってからだ。急に原理主義の色彩を強めた。これはイスラムだけではなく、ユダヤ教もそうで、シオニズムという原理主義の権化(この世で最も恐ろしい原理主義こそシオニズムだ)が生まれた。
理由は簡単だ。
19世紀に度し難いほどに西ヨーロッパ+ロシアと、それ以外の世界の格差が広がったからだ。