憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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百合

 あまりにも続くものだから途中で読むのをやめてしまったが、私はあマリ見てのファンだった。
 当時、男性オタク界隈には百合好きはほとんどいないに等しく、マリ見てから百合に入った人間も多かったと記憶しているが、私はむしろ逆、その後に勃興する百合に対して、どちらかというと嫌悪感を抱いた。

 

 そもそも私はマリ見ての挿絵が好きではなかったので、アニメは見たことがない。あの絵柄でアニメを見る気にならなかった。私は小説版しか知らない。

 

 当時、というか今のだが、私の理解としては、マリ見ては恋心というよりは女同士の友情に近いもののように思われた。腐女子が男性同士の友情を恋と勘違いするのと似ていたかもしれない。

 

 ゆえに、以降にエロ寄りの百合がはやり始めたとき、私は明らかに嫌悪感を抱いた。そういうものじゃあないだろう? と。そしてこの流れは案外続かず、流れとしては男性の登場しないソフト百合とも思われるようなジャンルが流行ることになった。

 

 けいおんとか、ゆるゆりとかだ。

 

 ただ、これらは作中で百合が明言されているわけではなく、どう見ても女同士の友情を描いているように、私には見えた。実際、これは「きらら系」という一定ジャンルになっていく。

 

 けいおんそのものは好きだが、あれを百合的に解釈する人々には嫌悪感を持った。
 また、マリ見ては精神世界の話だった。エロのない世界であった。しかし、百合厨たちは、エロ百合はそれほど繁盛しなかったものの、いつまで経ってもエロを指向しているようにも見えた。腐女子に抱く嫌悪感と同質のものを感じた。

 

 結局のところ、「男の存在しない世界」を望む人間の気持ちはわかるのだ。
 あれは一種のファンタジーだ。
 男性が登場しないことにより、現実逃避がやりやすくなるのだ。男主人公のハーレムものが、かつては現実逃避の代表格だったが、しかし、男が存在し、しかもそいつがあまたの女を手籠めにしているのだから、日常生活で自分と相いれないようなリア充に近い存在なわけで、そんなことなら、最初から雄など要らぬ、という道理は理解できる。

 

 昨今では、「男の存在しない世界を望む層」と「百合厨」と「昔から一定数存在する百合好き」は別物となって、完全に分化しているように思える。
 そのせいか知らないが、むかしほど百合百合を押す漫画やアニメは「表面上」見当たらなくなった。需要がないことが割れたのだろう。もっとも百合姫の売り上げがいまいちだった時点で、需要がないことはわかっていたが。

 

 ただ、ここでねじくれているのは、男の百合厨はエロを嗜みたいが、作中に、公式にエロを求めないという二律背反である。性根がねじれているというか、たぶん、百合厨は、ストレートにたどり着ける場所ではなく、拗らせの結果、たどり着くのかもしれない。

 

 その代わり、最近よく見るのは、SNS発みたいな「低コスト・低カロリーな」漫画に「百合」が多いということだ。まあ、私の感覚にすぎないが。
 これは百合を指向しているというよりは、男女の恋愛を避けるために、女性同士の恋愛を使っているように見えることだ。その設定、要る? と思うことが多い。普通に男女で恋愛すればいいのに、と。

 

 正直、マリ見ては面白いが、それは彼女らの恋にも似た友情譚だからで、単純に男女の恋愛を女性同士にただ置き換えると、こんなつまんないことはないのだ。たとえば、男女の恋愛劇が面白いのは、手を握りたいという葛藤があったとする。これ、女性同士だと葛藤が嘘臭いし、男女の恋愛は男女の違いを表すのに、女性同士では一緒になってしまい、性が違うがゆえのすれ違いの面白さが半減する。

 

 一種の創作上の「逃げ」として百合が利用されているのだろう。
 かつては、創作上の「客寄せ」だったが、今は違うのだろう。

 

 男性主人公が受けなかった場合や、炎上する可能性を考慮し、また、どっちも女性にすることで、ヒロインの数も事実上増やせる。そういった創作上の問題があろう。

 

 私は式守さんが好きなのだが、あの作品は男側に魅力がサッパリなく、そのせいで面白味が低くなってしまっていて、残念だ(式守さん自体はめちゃくちゃ好み)。いっそ、女性同士のカップルにしたほうがマシなのでは? と思うくらいだが、このように、女性同士のカップルにしておくと、安牌なのだ。
 たとえば、男のくせにうじうじしていると、なんでこんなよわっちろいのに構うんだ? このヒロインはダメンズ好きなのか? とヒロインの魅力まで芋づる式に悪くなるが、女にしておけば、「弱いところも可愛い」とすることができ、ヒロインはダメンズ好きという汚名を被らないで済む。

 

 百合的な配置を利用することで、下限を高くできる。そのかわり、先に述べたように、男女の恋愛の代替にはならず、ラブストーリーとしての面白さの上限値はさがってしまう。