ひろゆきは知性のなさを完全に露呈したと思う。

 ひろゆきが言語的に間違ったことを言っているのは明らかで、ひろゆきは辞書の意味だとか、putainは日常的に使うとか言っているが、それがその通りだとしても、「差別的」であることの否定にはならないのだ。


 というのも、言語には使用する文脈の話がある。つまり、ひろゆきは「単語」の話しかしていないが、語用論や統語論の話が抜けているのである。「単語」単独では別に差別的なニュアンスはないかもしれないが、「どういった場面」「どういった文脈」「どういった意図」「どういった文章」という状況によっては差別的な意味をもつ。


 言語は単語を並べるだけではない。単語同士をどうやって運用するか、使用するか、つなげるか。
 そういう話があるので、語用論という言語学上の区分があるのだ。辞書的意味はあくまでも「単語」にしか言及できない。


 たとえば、「くそ」という日本語の悪態は老若男女使う。しかし、もし黒人に対して「クソ黒人」と発言した場合、どうなるのか? 差別的なニュアンスをおびてこないだろうか?


 友人同士でくそゲーを楽しみながら「くそくそ」いうのと、黒人をあざ笑いながら、「くそくそ」いうのでは全く状況が違い、意味も違うのだ。
 ひろゆきは「単語の意味の問題」「単語の利用頻度の問題」に話をすり替えようとしているが、実はそんなことはどうでもいい。本質的ではない。別にputainという単語である必要もない。


 ポジティヴな意味の言葉も蔑称になりえるからだ。


 たとえば、「先生」という言葉は通常目上や師匠に対して使い、尊敬する先達としての敬称だが、「先生と言われるほど馬鹿でなし」という言葉もあるように、あいつは〇〇先生だから、と馬鹿にした発言にも転用できる。


 ひろゆきの論点そらしは今回ばかりは無意味である。


 なぜならほとんどの人間は語用論という言葉を知らずとも、経験的に「差別は単語には宿らない」と知っているからである。今回の場合も、もしテキストだけならデンベレはここまで炎上しなかった可能性が高い。


 しかし、動画だった。明らかに見下している、馬鹿にしている仕草が映っていた。これが問題なのだ。