憂邦烈士連合会@ソロプレイ

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昔であったバグ

 クレジットカードとか、銀行とか、紙明細を求める最大の理由は、なぜか2年以上前は閲覧できないとかいう謎制限があるからだ。イミフである。

 単なるテキストデータなので容量を食うわけもなく、ブラウザの表示を遅くするわけもなく。まあ、理由は都合が悪いからだろう。永久保存ほど上級国民が嫌いなことはない。
 紙なら引越しでなくしてくれるのに、デジタルはいつまでも残る・・・これは都合が悪い、と。
 で、電話とかすると、それ以前のデータは保存してないとか大嘘をいうわけよ。顧客の取引データとか最重要なマーケティング素材を捨てるわけがないんだよなあ。
 そういえばむかし、ゆうちょのATMがバグったことがあって、確か3年分くらいの長期間の記帳をやったらATMが途中でとまって、通帳を吐き出してきて、残高不足とかいうわけ。どう考えても入っているはずなのに、ないとかいうわけ。
 で、通帳見たら、なんか300円くらいのとこで止まってる。で、もっかい記帳すると、下せた。ちゃんと残高は5万くらいになってた。これさあ、なんか途中で処理がバグって300円残高になってたとしか思えないんだよね。つまり、100万くらいあったときでとまってたら、100万下せたと思うんだよ。これ。
 10年くらい前の話だけどさ。
 ぜってー私以外にも遭遇した奴いると思うんだけど、ニュースで見た記憶もない。

ルンファクは死んだ

 牧場物語のパクリゲーがsteamで100万本以上売っているのを見て、やっぱり白人が英語で作ったゲームじゃないと勝てないんだなと思ったのはいつだったか。

 

 それはおいておき、ルンファクシリーズは5以外は全部やった。

 1,2はバグゲーすぎて駄目だった。

 しかし3は名作。4は歴史上残るゲームだと思った。

 

 特に4はあのまま、AIを発展させたらすごいだろうなと思った。が、続編は出なかった。

 で、10年ぶりくらいに5が出た。

 最初発表のときはテンションもあがったが、どうも地雷臭がぬぐえなかった。

 

 なぜなら、ぼくらルンファクファンは一回、マグナで騙されているから

 

 5はプレイしていないが評判はよくないようだ。

 そもそも、4をプレイした人間が求めていたのはグラフィックを3Dにすることでも、同性婚でもなく、AIの強化だけだったと思う。

 

 3のとき、DSにも関わらずまるで村に住んでいるかのような体験ができた。一住人のように感じた。それくらい、各キャラクターの行動が色々あって面白かったのだ。

 4ではさらに進化し、ますます一住人感が高まった。

 5でほしかったのは、スイッチの能力を使って住人の行動をもっと複雑にしてほしかった。戦闘やグラは4で完成していたので、4のままでよかったのだ。

 解像度さえあげりゃよかった。

 

 おかげで、ルンファクも見事ほかのJRPGシリーズと同じく鬼籍に入った

 4が最高傑作というのは珍しいパターンだけども。

 

不要不急とは何か

 不要不急とは何か。
 日本人は家族とあわないとか、飲み会をしないとか、そういうことを言うと思っている。
 そうだろうか?
 外国ではそう考えない人々が多かった。
 家族と会うのは不急ではないが、不要ではないと考えた。宴会も大事だと考えた。
 むしろ、不要なのはデスクワークではないか? リモートにしようじゃないか。となった。商店もしめよう。営業時間削ろう(なぜか日本では居酒屋だけが大きくたたかれている。いみわかんね)。

 だから、あいかわらずホームパーティーしながらリモート率が日本よりもずっと高いことになった。
 早い話、不要不急の外出が何かの違いである。
 私は外国の考えに近い。
 不要不急とはいうが、家族と会うのは大事だ。帰省すべきだ、と。特にコロナなんて日本じゃほとんど死なない。大した病気ではないのだ。

 一方、仕事は不要だ。そうだろう? 皆無駄に暇つぶししてるんだし、リモートでいい。リモート。みーんなリモート。
 が、この考えは国内ではキチガイ呼ばわりされるだろう。間違いない。
 実家への帰省は慎むべきだが、満員電車通勤は構わない。そういう風潮なのだ。ちょっと理解できない。意味もわからない。

 帰省なんて行きかえりの2回しか交通機関にのらない。満員電車は毎日かつ接触する人間の数もはるかに多い。
 つまり、不要不急なんて論理的な話ではないのだ。価値観の違いだ。
 私はコロナが始まったころから言っている。
 日本ではなものが削がれ、不要なものがとくに削減されていない、と。

EVの覇権

 欧州は強引なEV化をエコの名の下に行っているが、実際は自動車業界の覇権を再び欧州へ取り戻すためのものだ。
 しかし、これ墓穴じゃないのか。
 世界最大シェアの自動車用モーターは日本企業だし、EV化で有利になるのは寧ろ中国とかトルコとかドローンが強いところであって、欧州は有利にならないと思うんだよね。排ガス規制みたいなこともできないし。
 てか欧州メーカーはどんどん日本市場を狙った方がいいよ。
 日本人はアメ車嫌いだけど、欧州車大好きだから。
 田舎だけど、最近は一割くらいは外車だし。
 一番多いのがVW
 なんだろうね。あれドイツのニッサンみたいなもんだから少しもカッコよくないと思うんだけど。せめてBMWにしようよ、と。でも関係ないんだよね。外車ってだけで価値がある
 たぶん、20年後くらいは半数が外車になってると思うんだよ。
 逆に欧州で、日産EVとかトヨタEVのシェアが日本よりも高くなってそうなのが笑いどころ。
 IKEAだって、最初欧州と同じ感覚でやったら撤退したけど、高級ブランドヅラして再上陸したらバカ受けでしょ。IKEAってスウェーデン的にはニトリだろ、と思うけど。
 ただIKEAは個人的に好きだよ。工作精度めっちゃ悪いし、ちゃんと検品してんのかてめえみたいなとこあるけど、頑丈なんだよね。すげー頑丈。そこが気に入ってる。ニトリなんか小奇麗だけどタフネスが足りない。
 まあ、個人的には車に拘りはないけど、小さい車が好きだから、小型普通車だと欧州車がいい気もする。軽は馬力がね。

かんあきちゃんねる

 娘がよく見ているのだが、こどもyoutuberというのがいる。
 かんあきちゃんねる、ひまわりちゃんねる、まーくんおーくんとかいろいろあるけど、かんあきちゃんねるが一番よい。なんだろうなあ。よいよ。
 安心して見せられる。
 で、なんでだろうなあと考えてみた。

 

1.作為性がほとんど感じられない
 最初期の動画は単なる家族撮影(ホームムービー以外の何様でもない)なので、もともと収益を目的にしていなかったことがわかる。シナリオもないっぽく、子供たちがふざけてgdgdで終わったりするが、それもそれで見ていて面白い。シナリオを読んでいるような子供youtuberも多い中、純粋に楽しんでいるように見えるのがよい。

 

2.家族全員が出演する
 ひまちゃんのように特定の人物しか出ないと家族間のハブのようなものを感じてしまうが、かんあきちゃんねるでは全員出演する。もっとも、最初は子供2人しかいなかったせいで、かんなとあきのチャンネルで、かんあきちゃんねるだったわけで、チャンネル名はちょっとズレてしまったが。

 

3.スポンサーがいない
 世間に媚びる姿勢がこの家族にはあまり見られない。スポンサーがいないせいだと思う。

 

4.大手事務所にも所属していない
 個人事務所である。変なしがらみもなく、TV出演もしないし、過去にもインタビューは一回しか受けていない。自由さは大事だ。

 

5.稼いだ金を教育に使っている
 留学費用にしたり、家族旅行に使ったり、ピアノを買ったり、収益を教育に投資している。あぶく銭にせずに、堅実な感じがして好感が持てる。

 

6.子供たちがみんないい子で賢い
 かんちゃんは若干口が悪いが、よい子だ。ノンシナリオの動画を長年撮ってきたからか、頭の回転が早く、賢い子だなあといつも思う。銀太はまだわからないが、みんなよい子で好感が持てる。

 

7.両親が普通の人っぽい
 売れなかった芸人みたいな父親や、ヤンキーみたいな母親みたいなのが多い中、どっちも普通の両親だ。リアクションも常人のそれでしかなく、自分たちの隣人のように楽しむことができる。

 

8.お母さんの編集が上手
 これ。素人とはいえ、さすが10年選手でほかのチャンネルと比べて別格に編集がうまい。

 

9.お母さんの努力が見える
 子育てしつつ、いろんな企画を考え、ネットで調べて、買付し、自作するお母さんの努力が見受けられる。既製品で済ましたりせず(まあそういう回も多いけども)に、家事の合間を縫ってやるとなると愛情を感じるし、仕事である(収益があるのだから)以上はきっちりやるという真摯さも見える。
  子育て、企画も動画編集もやりつつ、本人も出演して、一体いつ寝ているのかと思うレベル。

 

10.うちの子かわいいでしょ感が溢れている
 口では言わないが、うちの子を自慢したいんだなというのが人の親として感じる。子供をダシに収益を得ようという気持ちももちろんあるはずだが、それよりも一番目に「うちの子を見て!」というのを感じるのだ。

 だいたい纏めると、家族全員で出演していて、拝金主義的ではなく(もちろん収益目的なのだが)、子供たちがのびのびとしていて、いい子たちだというのがよいところだと思う。

 

11.住んでいる場所が近い

 親近感がある。

アメリカが最強国家なのは、全方位で強いからだ

 アメリカが最強国家なのは、全方位で強いからだ。
 人口は世界三位。国土も三位。つまり物理的人口的にすでに最強格。
 経済だけではなく、外国からの観光客数も一位(フランスじゃない)だし、もちろんノーベル賞受賞者数も一位だ。どうでもいいところだと名字の種類の多さも一位(日本じゃないし、日本は三位。二位はフィンランド)。話されている言語の数も一位(そりゃ世界中からくるからね)。
 まあ、あらゆるジャンルのもので、アメリカが三位以内に入ってないものって逆に少ないからね。一位じゃなくても、だいたい二位とかつけてるから。

Pは死んだ

 まふまふとかいうのが紅白に出るらしい。
 なんかもうこんなんがうけるの? 最近の若い子はもうわからないところにいったんだな、と思う。
 というか、私は初音ミクブームの初期というか、リリースすぐからきいてるけども、ヴォカロ文化が歌い手文化に乗っ取られたあたりで、もうよくわかんなくなった。
 古参のヴォカロ好きは、何Pの曲か。というのが大事だった。
 歌うのはミクとかレンとか、まあヴォカロに決まっているので、個性がどこで決まるのかは作曲者しかなかったし、作曲者=調教者でもあったので、ヴォカロ調教の腕含め、何Pか? が大事だった。
 そして、多くのPがメジャーデビューしていったが、米津以外は鳴かず飛ばずだった。
 米津に関しては歌い手ではなくて、元P、つまりシンガーソングライターみたいなもんなので、目新しい領域というか、まふまふみたいなのとは違った。自分で歌ったというわけだ。
 その後、adoとかYOASOBIとか歌い手出身のメジャーデビューが加速した。
 結局のところ、作曲者であるPたちは敗北し、歌い手が勝ったのだ。
 いまとなっては、その曲が有名になるかどうかは、誰が歌うか、という感じになってしまっている。ヴォカロ文化は完全に歌い手に乗っ取られた感じだ。オープンソースの楽曲提供みたいな感じになってしまっている。
 しかし、面白いのはadoがそうだが、三次元歌手を求めてはいない層が一定数いるが、彼らはへそ曲がりなことにヴォカロも求めていない。
 私は非人間であるということで強くヴォカロを推していたが、ヴォカロは下火だ。
 ミクさんもヴォカロというよりは、一キャラクターとしての側面が強くなってしまった。
 adoは2.5次元だ。
 歌唱しないでもヴォカロに歌わせることで自曲を披露するヴォカロ文化は衰退した。結局は、歌い手への無差別楽曲提供に堕した。逆に歌い手の方も通常の歌手としてではなく、半ヴォカロみたいな2.5次元で売り出すようになった。YOASOBIは顔出しはしているが、ヴォカロ的歌唱を売りにしている。
 でも、私は残念なのだ。
 ヴォカロによって誰しもが曲を生み出せるっていうのは、幻想だったんだなと。世間は結局、人間の歌い手を求めていたのだな、と。まふまふの持ち歌なんて楽曲提供されたものではなく、「歌ってみた」ものが勝手に持ち歌扱いになっている時点で、ヴォカロPたちの地位は歌い手よりも明らかに低くなった。
 だって、世間は「まふまふの持ち歌」って言うんだぜ? 私ならうれしくない。全然うれしくない。
 確かにまえから歌い手の需要はあることはあった。
 曲はいいのに調教が下手なPや、まだヴォカロに歌わせるには困難な楽曲には人間の歌い手でカバーするほうがいい、というのはあった。ハイファイレイバーなんかまさにそうだった。でもそれでも、その一番の名声はP側にあったはずだが、もうない。