不愉快な物語になりつつある。
水星の魔女、楽しく見ていたのだが、ちょっと12話は不愉快だった。もちろん、不愉快な物語=つまらな・魅力がないを意味しない。
人はあえて楽しくもないはずのホラー映画を見て怖がったり、いじめを題材にしたドラマを嬉々としてみる。
だから作品の魅力は失われてはいないが、私にとっては不愉快な物語になってしまった。
思い出したのは「まどか☆マギカ」である。当時、衝撃的だったが、あれが通ったのは深夜アニメだったからだ。
水星の魔女は日5だぞ??
それに「まどか☆マギカ」は第2話で本性をむき出しにしたが、不穏な空気は出しつつ、水星は10話まで隠してきた。プロローグは「言い訳」でしかない。
私はグエルくんがちょっと活躍でもして、エアリエルが相手をボコって終わりかな? であったが、全然違った。
スタッフがあそこまでグエルくんを貶めるというか、ひどい目に合わせるのが不愉快だ。
父親殺しそのものはいいが、グエルくんと父親の関係を考えれば、水星であれはやっちゃいけない展開だろう。
グエルくんが父親と和解する可能性がなくなるんだもの。
かといって、GANDでヴィムが復活でもしたら、それはそれで、もはやコメディみたいになってしまう。
11話のスレミオが急展開過ぎて違和感という人は多かったが、私はそうは思わなかった。
そもそも、地球寮とミオミオが仲良くなる描写も特になかった作品なのだ。
今更な批判であったし、1クールという尺の都合上、仕方がない面があったと思うし、ミオリネがスレッタに依存しているのは2話以降描かれてきた。
ちゃんと4クールガンダムなら丁寧に描いたはずだ。
問題はそこではなく、トマトの前振りとして使われたことだ。
また思い出したのが「ダーリンインザフランキス」である。
これは最高の食材をゲロにした駄作(食材は最高にいいので、ゼロツーは新作フィギュアが出る)だが、水星も同じである、と思った。
監督は確かに調理がうまい。最高の食材を最高の料理としてお出ししているのだ。が、そこには愛がない。
ダリフラはゲロになってしまったが、一歩間違えばゲロになってしまうようなところが水星にはある。
設定がガバガバ(ガンダムが強いという感じがまったくしないあたりが顕著だ。ファラクトもソルも強く見えないのだ。エアリエルが強いだけに見える。だからGANDへ視聴者は脅威を感じない)なのもそうだが、私は設定厨ではあるものの、物語重視派なのでそこはあまり気にしない。
しかし、人間関係や、前話の引きからのつなぎが唐突であったり、どうも、スタッフの「やりたいこと」だけが見え、作中人物たちへの愛を感じないのだ。
グエルくんいじめみたいな展開がずっと続くことに確信を深めた。
4号を焼いたのも単に「衝撃的な引き」が欲しかっただけにしか見えない。
12話も、たしかにミオリネの顔には興奮した(そういう男子は多いはず。気の強い子の絶望顔は飯がうまくなる)が、メタ的には、彼女に「人殺し」と言わせたかっただけに見える。
だからシーズン2冒頭で、案外、ケロっと始まりそうで不愉快だ。
プロスペラが「ガンダムなの」と言ってスレッタが絶望した回だって、次話ではただ説得されて終わったし、ミオリネもあまり追求しないままだった。
引きに対する回答が大してないまま保留が繰り返されている。
株ガンダムだってうまくいきすぎだ。
いろいろなことがその場しのぎで放置されている。追及もされず。
これらも不愉快だ。
ダリフラもいろいろな要素を何一つ回収しないまま、二人の愛が世界を救うで終わってしまった。ゲロでしかなかった。
結局シーズン1では何も終わっていないし、始まっていない。
このままシャディクが罰を受けないのならば、私はこの作品への評価を変えてしまうと思う。
ダリフラだって、1クール目はかなり面白かったのだ(ここでブルーレイを予約した被害者は同情する)。
が、後半がゲロANDゲロだった(大人VS子供という軸を何も解決しないまま後半に突入した。水星もグエルくんが父親を殺してしまったことで、大人VS子供の軸は解決する気がないことが露呈した)が。
そうそう、シナリオの都合でゼロツーも登場時の無邪気なキャラではなく、後半はサイコで唐突になっていたなあ。なぜかどんどん憔悴しはじめるし。
あれは意味不明だった。
水星は、毎回毎回、私の予想を裏切るような突飛な展開が面白かったのだが、最後にはちゃんとケリをつけるものだ、と思っていた。しかし、12話の展開を見る限りそうではない。
株ガンダムがうまくいきすぎているのも、何もかも、場当たり的なシナリオの産物でしかない。
この物語は解決しない。
プロスペラとスレッタが対決するかもあやしい。
4号もたぶん二度と出てこない。
彼は結局救済(最後に母親を思い出したことが救済とはとても言えない)されない。
スレミオだって、あんなシーンを見せられて、母親の洗脳だったとしても、ミオリネがスレッタをまた愛せると思うか? ミオリネは普通の子だぞ。
なんでも奇をてらえばいいってもんじゃない。
別にスレッタがトマトしたのはいいんだ。
でも、それが物語上の必然としてではなく、スタッフの露悪的な感情由来だってのがだめだ。
それが顕著に出ているのが、血が付いたままミオリネに手を指し伸ばすシーンである。
私は違和感を感じた。
母親の洗脳(あのシーン自体はアニメ界屈指のおぞましいシーンで出色だが)があって、殺人を許容できたしても、血が付いたままなのを気にしないのは変じゃないか?
あれが血じゃなくてジュースだったとしても、拭いてからミオリネに手を指し伸ばすはずじゃない?
だって、スレッタはミオリネさんのこと好きなはずなんだから。いくらなんでもべちゃべちゃの手を差し出すかな??
そう。
あのシーンはスタッフの露悪趣味でしかない。
だから、シナリオの都合でスレッタの人格がおかしくなったように見えた。
シナリオではなく、シナリオの「都合」で。だからゼロツーを思い出した。彼女もシナリオの「都合」の犠牲者だった。