情報工学

 日本人の多くが勘違いし、いまでもしているが、根本的にIT(情報工学)は既存の工学とは似て非なるものだ。

 たとえば、日本は工学で発展した国だが、工学は物理法則に支配されており、規格は存在しても、誰よりもうまくつくれば勝てる。つまり、物理法則=神に支配されている以上、もっとも神が気に入ったものが素晴らしい製品なのだ。

 しかし、情報工学は異なる。
 根源的な部分は、やはり工学であるので神に支配されている。特に数学の神が支配している。が、それ以外の部分がまるで異なる。
 というのも、規格=アーキテクチャをつくるのは完全に人間であって、物理法則とは全く無縁、ということだ。
 たとえば、1バイトが8ビットなのには何ら物理的な理由はないし、数学的な理由(扱いやすさはあるが)もない。IBMが決めただけだ。非常に恣意的である。自動車のタイヤが丸いのは人間が決めたからではなく、舗装路を摩擦を使って走行する場合、円が最適だからだ。

 もっとも、ハードウェアの強い時代には既存の工学と情報工学はよく似ていた。同じものだと勘違いもする。
 しかし、ソフトが強くなってくるとそうでもない。なにせ、物理法則を記述する数学は、記法がどうあれ、最終的には物理法則を示す手段でしかないが、プログラミング言語は人間が作ったマシンに命令するためにつくられた記法にすぎず、まことに恣意的なのだ。

 ソフトのアーキテクチャ、システムのアーキテクチャに、物理的理由はない
 現在のwebの仕組みは、アメリカが有利なようにアメリカ人がつくったにすぎない。どんなに日本人が頑張っても、工学のようにはいかない。物理法則=神に愛されるかどうか、が製品の性能と結びつかないのだ。

 作ったやつ=(すなわち)神。
 ITにおいては、初期に制度設計したやつや、プラットフォームをこさえたやつの発言権、既得権益がすこぶる強い。神には逆らえない。
 さらに言えば、ソフトウェア工学は完全に人間が生みだしたもので、神の法則を読み解いたもの(数式で記述される物理法則)とは根本的に異なる。社会学政治学といった眉唾物の学問に近い。ゆえに、特にWEB界隈に多いが、ジャーゴンとオカルトに溢れている。

 最近はブロックチェーンも一種のオカルトになってしまった。
 工学から生まれた製品には性能評価がある。当然、ハードウェア的には性能評価がIT分野にも存在するが、ソフトにはない。
 ソフトには性能評価はない。あくまで人間の視点で測ることしかできないから、根本的に、性能評価できないのだ。神のつくった絶対的指標がそこにはない

 ソフトが優れているかどうかは、「使いやすさ」のような曖昧模糊としてもので測るしかない。また、そのソフトがうけるかどうかは性能とほぼ一切関係がない。最近はこの傾向はより強まっている。
 また、ソフトウェア分野にオカルトが多いのは客観的な性能評価ができない=値札がない、ことも関係する。もののように値段がない。工数でなんとか値札をつけてもいいが、物理的なもののように誰でもわかる原価があるわけでもない。
 私のつくったクソソフトが100億円といっても別に何もおかしくはないし、値段の根拠も要らないが、私の作った犬小屋が100億円では誰も納得しない。

 営業するならなんとか根拠を生み出そうとするのだが、日本人はITも既存の工学も区別できないため、明確な根拠を要求する。
 が、そんなものはない。ないから営業は面倒になり、別の部分で金を取ろうとする。結果、ソフト部門は不採算で、PGは安月給となる。

 そしてこの特性はデジタル庁が利用しようとしている。
 国は公共工事をやめ、デジタル工事を始めようとしている。
 理由は先に述べた通り、「積算が原理的に不可能」だからだ。公共工事はどうしても、見る人が見れば積算できてしまう。いや、この工事に100億円はおかしいですよ、と根拠付きで示せるし、土木部材は金額が公表されている。これではまずい。

 それでは、お友達に金が配れないではないか

 そこでITである。ITなら、誰も根拠を持って積算することができない。1000億円なら1000億円なのだ。10万円のソフトであっても。
 国がデジタル庁をつくり、デジタルを推進する理由はそこだ。
 当初、私はハードを売ろうとしているのかと思ったが、どうやら違うようだ。
 ソフトをお友達につくらせ(実際は五次受けくらいがつくる)、膨大な血税を回そうとしているのだ。さすが霞が関の官僚は頭がいいと思う。年々、公共工事ではお友達への利益供与が難しくなっている。

 また、事故が起きたとき人が死ぬ公共工事は、異様に人命を重視する民意的にもまずい。リニアも難航している。難工事だからだ。
 が、ITなら人は死なない(間接的には死ぬが)。

 どんなことをしても大丈夫。みずほだって株価は大してさがらない。今回のみずほの件が、官僚たちを確信させたと思う。デジタル庁は「いける」と。

 この金配り方法の本格的な変更は五輪招致あたりからはじまっていて、佐野に膨大なデザイン料を出したのがそれだ。デザイン料という、これまた概算すら不能なものは、どんなにおかしいとオンブズマンや市民が言おうと、「それくらいの価値があった」で一蹴されてしまう案件なのだ。
 そのくせ、公募デザイナーには著作権もうばったあげく、500万しか払わないのだから、お友達と非お友達の格差はとても大きい

 これはある意味、由々しき事態だ。
 公共工事は少なくとも、少しはトリクルダウンがあった。100億の工事を一人でするのは無理だし、どうしても地元業者を使った。でも、デジタル公共工事、デザイン公共工事は違う。
 最悪、クラウドワークスで3万円でつくらせたソフトを1億で買うというのも可能だし、COCOAの件を見ていると実際そうなりそうな気もするのだが、この1億は3万円を除き、一切トリクルダウンされないのだ。
 お友達だけがどんどん儲かっていく。
 公共工事大義名分とされた地元業者に金が入る、すら放擲してしまったのだ。おぞましい。

 これからデジタル公共工事は膨大な規模に上ると私は思っている。かつて農水省は1兆円近い土木予算があった。
 デジタル庁もいずれ、省になり「デジタル化」という曖昧模糊とした大義名分のもと、何が変わるのか皆目見当もつかないシステム(マイナンバーのように支配者だけにメリットのあるシステムも含め)に膨大な予算を差し向けるべく、あっという間に数兆円規模の予算規模となるだろう。

 国のデジタルをつかさどるわけだから、当然、防衛予算関連も「デジタル」はデジタル庁の担当になるかもしれない。
 私の推測では5年以内にそうなる。莫大な金が湯水のようにおともだちへ流れる。
 なにせ、公共工事と違い、おともだちに還流する比率が違う。佐野の例でいえば、ほぼ99%はおともだちで分配したに違いない。パクリデザインだったから、そもそもデザインの工数は0に等しいし、デジタルデータだから配布コストもほぼ0。
 何もお金がかかっていない。それをみんなで山分け。こんないい話はないし、デジタルもそう。デジタルがいいのは、デザインと違い、「便利になる」とかそういう大嘘もつけることだろう。