リオ五輪のときブラジルにオリンピックなんかできるのかとさんざん日本のメディアは馬鹿にしていたし、北京五輪のときも開会式はCGだの、中国人にまともな五輪はできないだのと大騒ぎしていたが、どっちも結局それほど問題は起きなかった。アテネ五輪もそうだった。
今度の東京五輪はどう考えても、それらよりも最低である。コロナを抜きにしても最低である。
いまさらパラの演出家を決め、しかもスキャンダル発生という、頭おかしいレベルというか、わざとやってんじゃないか? ってくらい無能だ。
日本では誘致の際の買収疑惑は「さっさとなかったことにされた」が、フランスではいまでも捜査中のままだ。
あんだけブラジル人と中国人を馬鹿にしてて、この体たらくはあまりにもひどい。
過去の東京五輪がうまくいったのは、国民の関心が5%しかなかったからだ。
だから今度の五輪のように国民の目が監視していなかったこと、そして、当時の五輪はまだ商業主義化するまえで金の亡者がたかってこなかったことがあげられる。
日本人は世界一金に汚い(中国人よりずっと汚い)ので、こんなことになってしまった。
そもそも、私は滝川クリステルが「おもてなし」と言った後に、なぜか手を合わせたときに強い違和感を感じたのだ。
日本を宣伝したいなら、普通におじぎだろう? なんでタイ風のあいさつするの? 馬鹿なの? とずっと思ってきた。
白人は日本人に興味がない(バッハも興味がないので中国人と間違えた)ので、ちょっと昔の映画を見ると、日本人(という設定で演者はたいてい韓国人)が「タイ式」のおじぎをしているのも珍しくない。
誤解が拡大しそうに思った。
最初から金の五輪だった。
コンパクトに開催と言っておきながら、最終的には北京五輪をはるかにしのぐ建設費・経費がかかった。あのメンツ大好き中国人よりも金をかけるとか、あたまおかしいが、できたもののクオリティは大変低い(間違いだらけの表示、鉄骨丸見えの設計の国立競技場)ので、ほとんどの金はどこかのポッケにないないされたのだろう。
むしろ中国人はメンツ絶対なので、五輪の舞台だからこそ手抜き建築は絶対にしない。中華の偉大さを見せつけるのが目的だからだ。逆にポッケナイナイ野郎が死刑になるだろう。
一方、日本の関係者の目的はただ一つ。
アスリートなんてどうでもいいし、国民もどうでもいい。関心事はIOCとJOC、そして政府要人とおともだち、ゼネコンあたりがポッケナイナイすることである。
五輪は理由づけにすぎず、特に意味はない。
五輪と言えば国民が納得する、そう考えただけだ。
新国立のザハ案への異様なバッシングも、ザハ案だと明確に建築費が算出されてしまうこと。そして、思った以上に建設費が安く上がってしまうため、ゼネコンが儲からないことにあったとしか思えない。
結果、意味不明なバッシングで新案となり、異様な建築費がかかった。