もともと漢字の部首は意味のジャンルを示すシンボルだった。
日本語にも同音異義語が多いが、この世に同音異義語のない言語はないし、神の名前が一般名詞であることもある。日本でも、アマテラスは、オオミカミをつけなかった場合、「天照らす」という文としても解釈できる。
このため古代の言語は象形文字の延長として、限定詞を使った。
楔形文字では神の名前のまえにはアスタリスクみたいなマークがつくし、エジプトの象形文字も同じく、語句の示すカテゴリやジャンルによって限定詞をつける。
ただこの限定詞は表音化が進むにつれ消えていった。これはひとつに、古代言語の単語は音節が短く同音衝突が起こりやすかったのに対し、時代が下ると音節が増えていった、という傾向も手伝った。
日本語でも、エノキ、柄(え)、枝(えだ)はもともとエという1音節の単語だった。元来の語義的には、「突き出たもの、突起」のような意味合いだ。それが時代が下って分化し、同音語ではなくなった。
しかし、中国語はこの経過を辿らなかった。
正確には辿ったのだが、ほかの言語よりもゆるやかで、3音節以上の語というのはほとんどない。また、文法的にも活用も曲用も膠着もしないため、表音化の傾向もゆるやかだった。
結果として、限定詞は文字に取り込まれることになった。これが部首の始まりだ。
晴と清はもともと青という漢字で、セイ(便宜的にそう呼ぶ。古代中国語音ではない)という同じ単語だった。これに限定詞の日がつくと天候に関するセイ、サンズイだと水に関するセイということになった。模式図的には、日青、水青のように書いていたわけだ。
これがそのうち一つの漢字になった。
これは極めて特殊な事例だが、古代言語ではよくあることだった。漢字は字形は大きく変質している。ギリシャ文字なんて2500年前からほとんど変わっていないが、漢字は最早判別不能なほど異なっている。当時は篆書だったからだ。ようやく現代の字形になるのは唐代で1300年くらい前だ。
が、字形は変質しているが、3500年前の古代語の香りを伝えている。