現在、運転といえばだれでもできる簡単な技術だが、昔はちがった。
運転は特殊技能だった。
というのも、運転が簡単になったのは、オートマ、パワステといった技術の導入のおかげだ。いにしえの車たちは、クランクを回さないと起動せず、また、個体差、機差が大きく、一定の修理技能も運転手には求められていた。
技術の進歩は特殊技能を誰しもが使えるようになることだ。
私はPGだが、いにしえのPGたちは紙の上でプログラミングしていた。当時のコンピュータは電気を食い、ビルよりも値段が高く、とても常時使えない。だから紙の上で、つまり頭の中でプログラミングし、デバッグしていたし、C言語なんかなかったので、機械語やアセンブラで書いていた。
現代ではおよそ信じられない。
しかし、現在は、インターネットにサンプルも転がっているし、便利なライブラリやコンポーネントはちまたにあふれ、C言語ですら難解言語扱いだ。
三か月も研修を受ければ誰でもPGになれる世界が今だ。だが、かつてはセンスと知能のないやつはなれなかった。
カメラなんかもそうだ。マニュアル露出、マニュアルフォーカスの24枚撮りカメラで決定的瞬間を狙うなんて特殊技能でなくして何なのか。だが、今、誰でもカワセミの撮影ができてしまう。必要なのは技術ではなく、根気である。
AIもそうだ。プロンプトを使って誰でも上手な絵が描けるようになる。
デジ絵も昔は特殊技能だった。
碌なスキャナもなく、ブラウン管でドットを使って描く時代は間違いなくそうだった。彼らはドッターと呼ばれているが、もはや消滅したに等しい。Windows時代になっても、レイヤーの概念のない時代と今では根本的に異なっているだろう。