私はAIに対して怖さを感じないわけではないが、それは恐怖と呼ぶには弱いものだった。
シンギュラリティというのは妄想の産物と思っていた。
しかし、Nスペで「仮想空間で学習するAI」を見て恐怖を覚えた。
もはやAIは現実で学習すらしない。
AIという張りぼて(創造性を伴わないAI)は張りぼてから学習する。藤井壮太なんかは、AIから将棋を学習している。
つまりだ。AIから人は学び、そのAIの学習は現実ですらない。
現実はどこにもない。
仮想現実が現実を侵食している! そうとしか思えない。
これが恐怖でなくて何なのか。
私はPGなので、デジタル世界には理解のある方だし、デジタルセックスが喪たちを救済し、人類に安寧をもたらすだろうと思っている。合成肉とバーチャルセックスがあれば、人類は争う必要がないのだ。
しかし、その実、現実はやはり上位存在として考えてしまう。
私が古い人間だからか?
たとえば、趣味の一つに絵があるが、デジ絵はほとんどしない。アナログ派だ。
私は現実に一定の価値を置いているし、仮想はあくまでも仮初め、現実世界の抽象化したなにか、記号化、単純化されたなにか、だから私にとって、アイデアルな世界とは神の世界や概念の世界ではなく、現実のことだ。
現実(イデアの世界)をもとに、仮想(デジタルの世界)はつくられているはずではないのか。
そもそも、標本化や量子化によって本来の姿(現実)が失われた最大公約数的なものがヴァーチャル(仮想)ではないのか。
が、このままではそうはならない。
現実は分離され、仮想(イデアの世界)から学習された世界(仮想)が成立する。イデア界となったヴァーチャル空間は現実のくびきを離れていく。
半導体の中に現実の宇宙よりも複雑な何かがうまれていく。
AIの描いた絵を見て思う。
AIは人間の発想にとらわれない。
確かに一部の鬼才には勝てないが、大多数の人間の想像力は超えてしまった。そんな風に思う。
だから、現実から離れたAIが半導体の世界で勝手に世界を生成していくとしたら、こんな怖いことはない。
なにせ半導体の中身は見えない。
いや見えるのだが、しょせんそれはバイナリデータにすぎない。意味もない。物理的に存在しもしない。
何もないはずなのに、ある。
かつてITは虚業と言われた。
今でもそんな風に大多数の日本人は思っているが、AIは同じく虚だが、そこに人類の英知を超えたなにかを生成しているとしたら。怖いじゃないか。